日本漢俳学会は中国漢俳学会と呼応する日本の漢俳学会です漢俳は詩歌による日中文化交流を做す爲の詩です

日本漢俳学会が定める漢俳の詩法

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日本漢俳学会は中国漢俳学会に呼応する日本の漢俳学会です
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日本漢俳学会のご案内 会則

顧問 会長 理事 代表理事 会員

関連WaveSight
葛飾吟社 漢詩詞創作講座 漢詩詞萬首 日中相互通用漢詩曄歌youka

お断り:MailはTextで、添付Mailは一律削除致します
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 漢俳成立趣旨の示すとおり、漢俳は俳句愛好者の爲の定型です。定型も易しく、俳句を嗜んでいる人なら、難なく対応できる定型です。
 添削指導を受けようとする方は、日本の俳句団体の諸氏が適宜で有ろうかと思います。先方の可否は伺って居りませんが、茲に参考まで、WaveSight を掲載しますので、是非お尋ねください。

世界俳句協会 国際俳句交流協会
日本伝統俳句協会 現代俳句協会

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 こ注意!! このホームページに関わる一連の資料には“著作権”が有ります。またその一部は既に著作権登録が為されています。研究や学習の為に個人的に使用する場合に限り、複写して使用することを許可します。そのほかの方は著作権者の同意を得て下さい。なお著作の大小に関わらず出處と著者名を常に明示して下さい。

日本漢俳学会で定める漢俳の詩法 日本漢俳学会は中国漢俳学会と呼応する日本の漢俳学会です

 漢俳は誕生して数十年の童子です。未だ定義さえも定まっていません。身近に耳にするところでも幾つかの定義があります。作品として句の作りは漢語ですが、詩法は日本俳句と共通すると云う定義もあります。これは道理の通った説得力有る定義と聞こえますが、何しろ難しいのです。
 漢俳は日中文化交流の橋梁となる使命を背負って誕生した経緯があります。この点に重きを置けば、大衆に創り易い事が条件となります。下記記載の詩法は、大衆の創りやすさに重点を置いた詩法です。
日本漢俳学会は2005年6月に成立しました
日本漢俳学会が定める漢俳詩法の原則

綴りは
漢字とする
日本漢字・中国漢字を問わない

文法は
漢語文法による

構成は

序文
漢俳


句の構成は
原則として
五字+七字+五字の三句、都合十七字とするも
作趣により適宜案配を可とする

押韵は
古典韵・現代韵・用途韵・地域韵を問わない
平韵・仄韵・平仄混用を問わない
無押韵を問わない

押韵位置
押韵は句末とする
最終句押韵は必須とする

創作
対象は問わない
趣旨は俳諧的な味わいや趣
滑稽・軽妙・洒脱・脱俗的な味わいなどを必須とする

詩法変更の可否
基本詩法の変更は不可

除外
詩法ではないが、
日本漢俳学会が扱う詠題から、
思想・政治・近代史は除外します

日本漢俳学会創設者
日本漢俳学会初代会長 中山逍雀

綴りは
 漢字とします
 日本漢字や中国漢字など有りますが、何れの漢字も少しの努力で簡易に読めるので、文字種に依る不便は感じません。
 日本製漢字は、註;を付けることで使用を可とします。

文法は
 漢俳は中国誕生の詩歌ですから、漢語文法によります。
 漢語文法は主語+述語+客語の構成です。
 漢俳は句の文字数が少ないので、それ程難しい事柄では有りません。

構成は
 一般の漢詩詞は
 定型名
 題
 序文
 漢俳
 註
 の構成ですが定型は漢俳に限られていますので、省略できます。
 (一般の漢詩詞壇に投稿の場合は省略しません)
 日本俳句には題の記載が見あたりませんが、漢詩詞には題は必要です。
 漢詩詞は必要に応じて序文を書きます。
 固有名詞・固有文字・固有語彙には、註;を付けます。

句の構成は
 原則として
 漢字の五字+七字+五字の三句で構成されます。これが漢俳と言われる所以の一端でもあります。
 文字数は仮名と漢字の違いはありますが、都合十七字とします。
 漢民族は音韻声調との関係で、滅多に文字数の変更は行いませんが、日本人には漢字句の音韻声調の意義が不案内なので、文字数の変更を為した作品が散見します。
 依って作趣により適宜案配を可としますが、これが漢民族の案几に載ったとき、音韻声調の不備が露見しますから、その弊は免れません。

押韵は
 韵とは母音を云います。押韻とは一つのブロック内に2ヶ所以上同じ母音の文字を用いることを云います。
 中国大陸は廣いですから、文字が同じでも色々な発音があります。また歳月の経過と共に発音も変化します。
 依って色々な韵書が存在します。
 古典韵・現代韵・用途韵・地域韵を問いません。
 母音には平聲として第一声調と第二声調のグループと仄聲として第三声調のグループと第四声調のグループがあります。平韵・仄韵・平仄混用を問いません。
 押韵しない場合でも、可とします。
註;現在一般に云われている普通話は中華人民共和国建国後に彊域統一手段の一つとして、言語統一が為されました。狭い日本でも方言があるのですから、広大な国土と多民族国家では、日本の比ではありません。中華人民共和国は多民族多言語国家なのです。
 公用語を普通話としても、実社会においては多言語なのです。多くの民族は漢字を使いますが、その発音は一様ではありません。然も普通話では四聲と云われていますが、全彊域が四聲とは限りません。六聲も八聲も、有ると聞き及びます。
 平聲と仄聲の定義は、平聲は平穏で穏やかな声調で、仄聲は仄(偏って)って変化する声調と、理解した方が分かり易いかも知れません。

押韵位置
 大方の詩詞押韻の方法(当然例外もあります)に順じ、押韵の位置は句末字とします。そして、最終句の押韵は必須とします。依って次の四形態が有ります。
 ○○○○☆。○○○○○○☆,○○○○☆。   全句押韵
 ○○○○☆。○○○○○○○,○○○○☆。   二句押韵
 ○○○○○,○○○○○○☆。○○○○☆。   二句押韵
 ○○○○○。○○○○○○○,○○○○○。   無押韵

創作
 対象は問いませんが、趣旨は俳諧的な味わいや趣・滑稽・軽妙・洒脱・脱俗的な味わいなどを必須とします。
 俳諧的な味わいや趣・滑稽・軽妙・洒脱・脱俗的な味わいなどを必須としたのは、漢俳の「俳」の字に配慮したためです。もしこの項目を入れずに自由な内容とした場合には、他の小令との特異性を欠き、漢俳の依って立つところを失います。

詩法変更の可否
 論攷大いに結構です。
 創作鑑賞大いに結構です。
 その外は諸賢の研鑽に委ねる。
 但し基本詩法の変更は不可とします。
註;葛飾吟社は自由旋律も可で、詩法云々は各位の裁量に任されています。依って詩法の変更を思慮する場合は、葛飾吟社での研鑽をお薦めします。
    葛飾吟社のHome Page

詠題は
 詩法ではないが、日本漢俳学会が扱う詠題から、思想・政治・近代史は除外します。
 思想・政治・近代史などは國・地域・民族などに依って、その扱いが往々にして異なります。
 漢俳を創る目的は日中文化交流の橋梁とするためです。依って文化交流の支障となる要素を含むであろう事柄は、事前に排除します。
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漢俳学会案内 日本漢俳学会は中国漢俳学会と呼応する日本の漢俳学会です
漢俳のWaveSightは中山逍雀が個人的に2002年12月より開設していました月次アクセス一覧参照
Home Page
日本漢俳学会は2005年6月に成立しました
日本漢俳学会のご案内
 中山逍雀がWaveSight漢俳を2002年12月に開設した。
 2005年3月に中国北京に於いて、詩歌を橋梁とした日中文化交流を目的とする詩詞壇として、中国漢俳学会が設立された。
 同年2005年6月に、2002年12月からあった漢俳のWaveSightの名称を日本漢俳協会とした。
 その2年後の2007年6月、中国漢俳学会に呼応する漢詩詞壇として、漢俳協会は装いも新たに日本漢俳学会と呼称を変更した。
 会の運営については 会則 に依る。
 日本漢俳学会は、その名称の示すとおり中国漢俳学会に呼応する日本の、漢俳専門詩壇である。
 その目的は、漢俳を橋梁として、漢字文化圏との文化交流を為すことである。
 漢俳の現状は極めて厳しい。
 日本国内に於いて漢俳に興味を示し実作している者は極めて少ない。
 働きかければ急増するという物事ではない。
 日本国内で漢俳を普及させるには長い時間が必要である。先ずはその方途の一つとして、Internetを用いて全国に散在する文化交流に意欲を持ち、漢俳に興味を持つ人を把握すること。
 漢俳詩法普及のための講習を行うこと。
 漢俳そのものについての研究と研鑽に努めること。
WaveSightの経緯
 漢俳普及の爲のWaveSightは2002年12月にSubDomainでWaveSight漢俳を開設した。 
 中国漢俳学会が2005年3月に設立されたのを契機に、2005年6月に従前より開設していた漢俳普及のSubDomainWaveSight漢俳の名称を日本漢俳協会とした。
 2007年6月 kanpai.cc の独自Domainを登録し、装いを新たに、日本漢俳学会のWaveSightを開設した。重複するSubDomainWaveSightは削除した。
2002年12月  SubDomainWaveSight   漢俳 開設
2005年6月  SubDomainWaveSight   漢俳を漢俳協会に変更
2007年6月  独自Domain kanpai.cc? を登録 WaveSight漢俳協会を日本漢俳学会に変更

漢俳総論
 漢俳は誕生して数十年しか経ていない。未だ嬰児の段階である。恐らく安定した定義が出るまで数百年は掛かるであろう。
 未だ数十年では議論をしようにも、其れすら足下が定かでない。試行錯誤の段階である。だが、2005年3月に、漢俳に日中文化交流の橋渡しをさせようと、華々しく中国漢俳学会成立祝賀祝典が挙行された。
 漢俳は未だ赤ちゃんなのに使命を負わされたのである。赤ちゃんだから解らないでは済まされない。赤ちゃんは、両親の遺伝子は受け継いでいる。其れを辿れば大方の情報は得ることが出来る。
 漢俳はその名称の示すとおり、漢詩詞と日本俳句の混血である。この混血が中々厄介で、育て方次第で、劣勢にもなり、優勢にも成る。素直で育てやすくもなり、気難しくて育てにくくも成る。
 日本漢俳学会では、未だ性格の解らぬ赤ちゃんを皆さんに育てて戴く爲には、優性遺伝子を持った、素直で育てやすい赤ちゃんで有って欲しい。
 遺伝子には多くの優秀な可能性を含んで居るであろう事は事実である。だがさし当たって素直で育てやすいことが第一条件となる。
 依って、此処では育てやすいことを第一条件として、両親の遺伝子を程々に受け継いだ「日本漢俳学会が定める漢俳の基本詩法」を決めました。この詩法を拠り所とすれば、現在の中国詩詩壇で十分に通用する漢俳作品が作れます。
 「日本漢俳学会が定める漢俳の基本詩法」の詩法はあくまで、此処で取りあげた詩法で、この他にも沢山の詩法が有りますが、煩雑や難解なので、此処では取り入れませんでした。
 このテキストには、論攷として幾多の詩法が述べられていますが、未だ試行錯誤の段階であることをお断りします。

漢俳(かんぱい)TopPage
 漢詩詞としての約束事は、此処に書かれている事柄以上に、数多くあります。それらは通常のこととして敢えて書き込むことは致しておりません。依ってそのことを念頭にご閲覧為されることを希望します。
 今から20年ほど前、日本俳壇と中国詩壇の交流会席上、趙朴初先生が日本俳壇への敬意を込めて“漢俳”を披露したと聞き及ぶ。此の披露が、いつの間にか新たな定型として定着した。
 漢俳(漢字の戯れ言)を披露した趙朴初先生が、従来とは根本的に異なる画期的な叙事法を披露したとは聴いて居ないので、文字数は17字でも手法は中國の従来の手法を踏襲したと思はれる。又今までにもこの様な作品が無かった訳ではなく、時たま見受けられてはいた。
 中国詩の必要最小限の要素は、韻母と声調の二っである。そして韻母を重ねて用いる事を押韻と云い、漢俳も的確に押韻されている。
 講を開くに当たって、漢俳についての定義付けを行う事とする。もしその定義無しに漢俳を扱うならば、歴史に培われた数ある小令の中に埋もれて、その存在意義はなくなる。
 漢俳の講を開くに当たって、以下の如く定義する。
1−詩語を用いる事
2−押韻する事
3−漢字で綴る事
4−5文字+7文字+5文字 の構成である事
5−平三連・仄三連は避ける事
6−叙事内容は、日本俳句に準ずる。
1−
 漢俳は中国詞の小令程の大きさで、叙事法は中国詩詞の詩詞法を用いれば概ね不都合はない。とは言っても矢張り文字数が少ない事は否めない事実である。既存の小令とほぼ同じなら、中国詩詞を作る時と同じように「詩語」を用いる。
2−
 詩詞と散文の分岐要件は、押韻の有無である。だから押韻しない駢儷文は文の範疇に入るのである。押韻して有れば上手下手はあるが一応は「詩詞」の範疇に入るのである。押韻の数と箇所の指定はないが、句意末字押韻が妥当である。
3−
 漢詩詞の一類で有るから漢字で綴る事は勿論の事である。
4−
 漢俳の文字構成は、5文字+7文字+5文字 と定める。
5−
 平仄の配置と押韻の位置について、未だ定まった定型は見受けられないが、中国語の声調を知らぬ日本人は、目と定型に頼る外はない。中國詩友にこの点を尋ねて、ほぼ間違いを犯さない方法を伝授された。即ち、古典定型詩の平仄配列と押韻方を援用することが、間違いを犯さぬ方法として有効である。
6−
 漢俳の成立の由来が俳句に拘わり有る旨なので、日本俳句に準じる事は当然の理である。

漢俳定型の考察
 七言絶句の平仄押韵定型を援用して考察を試みると・・・
△○ ▲● △○●     −1
▲● △○ ▲●◎     −2
粘綴
▲● △○ △●●     −3
△○ ▲● ▲○◎     −4
 此の四句を考察すると、粘綴を挟んで前半と後半に分けられる。即ち
其の一
▲● △○ ▲●◎     −2
粘綴

その二
▲● △○ △●●     −3
の二通りの組み合わせがある。其の一の形態は、末句押韵が出来ないので、
−3 を ○○ ●●◎ に改める。
 句意の組み合わせは
其の一の場合は
▲● △○ ▲●◎     承句

其の二の場合は
▲● △○ △●●     転句

漢俳には三っの定型がある
其一 三句三章三押韻
        □□□□◎
      □□□□□□◎
        □□□□◎
             各句一句一章

其二 三句二章二押韻
        □□□□◎  一句一章
□□□□□□□,□□□□◎  二句一章

其三 三句二章二押韻
□□□□□,□□□□□□◎  二句一章
        □□□□◎  一句一章

考察:
 五言句七言句の有り様について、単なる俳句との文字合わせだけの事柄に止まらない。
1−俳句を耳で聞いた場合概ね十七音の構成となり、漢俳も概ね十七音の構成となります。この事は、中国人の側から看て、俳句との同一性が認識される点であります。
2−漢俳の場合の、五字句と七字句の組み合わせは、
  五字句は観念的な表現に適し、七字句は情緒的な表現に適しているので、観念的な表現と情緒的な表現、の両者を組み合わせることによって、従来の定型詩にはない新たな詩境を創出する事が可能となる定型である。
(この詩法は三聯五七律に採用されています。定型編を参照して下さい)
三句押韵の場合
 前項の考察は二句押韵の例であるが、中国側から寄せられる作品に、三句押韵の作品少しではあるが存在する。然し基本的な要件は二句押韵の場合と全く変わっていない。即ち偶々韵字と同じ文字が句末に有った!と理解すれば良い。

注:◎ 平聲仄聲を問わない押韵
注:☆ 平聲の韵
注:★ 仄聲の韵
注:● 仄聲
注:○ 平聲
注:△ 基本は平聲だが仄聲でも可
注:▲ 基本は仄聲だが平聲でも可
注:● 領字
注:※ 句法に叶えば平聲仄聲を問わない

漢俳
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一 序文

 2005年3月23日、中国北京に於いて、漢俳学会が成立した。当然、日本側の当事者は、漢俳の名に由来して日本の俳句団体で有った。

 中国側当事者と日本側当事者は祝辞の中で、漢俳は両国の詩歌文化を繋ぐ橋梁で有って、今後より多くの人々が、この橋梁を使って往来する事を切望する、と謂った。

 漢俳は誕生して已に二十五年余り経つが、この漢俳学会成立を期に、日中文化交流の橋梁として俄に脚光を浴びる事となった。

 漢俳は新たに生まれた定型であるから、未だ日本側にそれのテキストは無い。勿論漢詩詞結社の立場からすれば、テキストを必要とするほどの、難しさは無いものの、余り漢詩詞創作に馴染みのない人にとっては、何某かのテキストは必要であろうと思い、ここに初心者用の簡便安易なテキストを編纂する事とした。

二 編集の趣旨

 この小論は漢俳の入り口を案内するもので、これを読めば漢俳が作れるというものではない。

 漢俳は極めて易しい定型だから、作り方を解説する必要もないが、かと云って、どの様に綴っても良いという事ではない。

 綴る前に漢俳の雰囲気を習得する必要がある。既存の定型ならば模範作品に事欠かないが、新しい定型では品格の整った作品を探す事はとても難しい。

 この小論は、創作の雛形となるべき作品を提示するのが目的である。そして、そこから、既存定型との詩法関係を明らかにする。

 漢俳は二千余体有る漢民族定型詩歌の一つで有って、このテキスト通りの学習を達成すれば、漢俳に限っては独自で創作できる能力を付ける事が出来る様に編集した。

三 学習の前提条件

 このテキストを読むには以下に示す最低限の知識は必要である。
1−白文が読める事。
2−文字面からの解釈が出来る事。
3−文字面の裏にある本義が読み取れる事。

 この三っが出来る事が前提となって、その次に本講の記述に続ける。

四 解説法

 この小講では、白文だけを提示し、敢えて解釈も本義も提示しない。もし、読みや解釈や本義を提示すると、他人に頼る癖が出て、自から読解する能力に弊害が出るからである。

五 漢俳の特徴

 殆どの漢詩詞は起承轉合の四要素に依って構成されているが、漢俳は三句構成のため起承轉合の何れかの要素を欠いている。

 この起承轉合要素の欠落によって、全体として欠落感が生まれる。言い方を変えれば、云い足りない、辻褄が合わない、読者はこの欠落感を補おうとして、探索或いは想像の思考が働く。

 五字句は観念的な表現に適し、七字句は情緒的表現に適しているので、漢俳は五七五字の構成であるので、五字句の特徴と七字句の特徴を併せ持ち、一見情緒的に見えても、内実は極めて高い観念的な境地を創出する事が出来る詩型である。

六 入門の方法

 定型詩歌を作るには、当該定型の様態を知らねばならない。漢詩詞結社では個々の定型について逐一解説をしているが、本小論は漢俳ただ一つであるから、漢俳の詩的な雰囲気を熟知すればよい。

 それには、既存の作品を手許に置いて、ちょっと筆を加える方法を採る事とした。この作業は未だ創作ではない。ちょっとした遊びである。

七 ちょっと筆を加えてみよう!
 皆さんに馴染みの深い既存の作品を十首書き出したので、筆を入れてみてください。これは未だ創作の域では有りません。雰囲気を知るための遊びの域です。
 個々に提示した既存定型は四句構成です。漢俳は三句構成です。四句のうち一句を削り、五七五字句に整えれば、ほぼ漢俳と同じ雰囲気となります。参考までに各首三例を示しましたので、あとは何処を削っても構いません。読者諸賢に任せます。

1−
  楓橋夜外  張継
月落烏啼霜満天,
江楓漁火對愁眠。
姑蘇城外寒山寺,
夜半鐘声到客船。

@−起句を削除
漁火對愁眠。
姑蘇城外寒山寺,
鐘声到客船。

 幾つかの加除を行う
江楓對愁眠。
姑蘇城外寒山寺,鐘声到客船。

解;漁火は江楓の中の景物なので、江楓對愁眠とした。
解;第一句江楓對愁眠と二三句の姑蘇城外寒山寺,鐘声到客船。とは離れている。これは起句の欠落による効果である。

A−承句を削除
月落霜満天。
姑蘇城外寒山寺,
鐘声到客船。

 幾つかの加除を行う
烏啼霜満天。
姑蘇城外寒山寺,鐘声到客船。

解;原句、月落烏啼霜満天は、月落・烏啼・霜満天、の三つの事象より成り立つ句中対で有る。この三事象の中、二三に対して平板の幣をを逃れるのは、烏啼・霜満天の事象である。

B−転句を削除
月落霜満天,
江楓漁火對愁眠。
鐘声到客船。

解;転句が欠けると、三句並立と成り、観点が定まらず趣旨が散漫となる。
解;転句が欠けると、作品として成り立たない。この弊を救う方法は、何れかの句を書き換える必要がある。

B−@ 二句目の変更
月落霜満天,江風停息晩秋眠。
鐘声到客船。

解;楓ではなく風として、江風停息とし、晩秋眠とすれば、
 月落
 霜満 天,
江風停息
晩秋眠
鐘声到 客船。
と互いに連携を保ちながら、一点に収束する。

B−A 三句目の変更
月落霜満天,江楓漁火對愁眠。
鐘声白髪邊。

解;一二句が実句に対して、第三句を虚句として、実を述べて虚で結ぶ。

2−
  江南春   杜牧
千里鶯啼緑映紅,
水村三郭酒旗風。
南朝四百八十寺,
多少楼台烟雨中。

@−起句を削除。
三郭酒旗風。
南朝四百八十寺,
楼台烟雨中。

 幾つかの加除を行う。
千里酒旗風。
南朝四百八十寺,桜花烟雨中。

解;楼台烟雨中よりも季節感のある桜花烟雨中に入れ替え。
解;南朝四百八十寺,桜花烟雨中。の両句は程良く連携を得ているが、千里酒旗風。は連携を得ていない。即ち起句の欠落による結果である。

A−承句を削除。
鶯啼緑映紅。
南朝四百八十寺,
楼台烟雨中。

 幾つかの加除を行う。
千里緑映紅。
南朝四百八十寺,楼台烟雨中。

解;鶯啼緑映紅。楼台烟雨中。の二句とも視点場が一点なので、千里緑映紅。として、視点場を遠方に移し、視点場を遠近二つとした。
解;南朝四百八十寺,楼台烟雨中。の両句は程良く連携を得ているが、千里緑映紅。は連携を得ていない。即ち承句の欠落による結果である。

B−轉句を削除。
鶯啼緑映紅,
水村三郭酒旗風。
楼台烟雨中。

解;転句が欠けると、三句並立と成り、観点が定まらず趣旨が散漫となる。
解;転句が欠けると、作品として成り立たない。この弊を救う方法は、二三句の何れかを書き換える必要がある。

B−@ 二句目の変更
鶯啼緑映紅。
緬想三郭酒旗風,楼台烟雨中。

解;第二句の時間軸を変更した。これにより現在と過去の両時間軸が対比された。即ち内容を転句に書き換えたとも言える。

B−A 三句目の変更
鶯啼緑映紅,水村三郭酒旗風。
模糊烟雨中。

解;第三句の景物を変更した。楼台烟雨中は確実に認識できる景物を指定し、読者の想像を遮断しているが、模糊烟雨中は、認識できない景物を指定し、読者の想像を誘導する。

3−
  答韋丹 僧霊徹
年老心閑無外事,
麻衣草坐亦容身。
相逢盡道休官去,
林下何曽見一人。

@−起句を削除
草坐亦容身。
相逢盡道休官去,
何曽見一人。

 幾つかの加除を行う
年老麻衣身。
相逢盡道休官去,何曽見一人。

解;起句を削除すると前置きに欠け、草坐亦容身では意味不明となる。依って、年老麻衣身とする。「何」は反語を表す。見た事があるだろうか?一度もない!

A−承句を削除
心閑無外事,
相逢盡道休官去,
林下見一人。

 幾つかの加除を行う
心閑無外事。
相逢盡道休官去,林下見道士。

解;承句は削除しても、入り口が有るので、二三句への繋がりは保てる。
解;「事・去・人」の三字の母音(韵)が各々異なるので、その中の二つ以上を同じにする(押韵)必要がある。
 依って此処では取り敢えず「事shi3」に合わせて、見道士・見壮士・見錦字・貪才智などの語彙が充当される。
解;何曽見一人と林下見道士では正反対となるが、この様に趣旨は各様に変えられる。

B−転句を削除
心閑無外事,
麻衣草坐亦容身。
何曽見一人。

解;第一句と二句には繋がりが有るが、第三句とは全く繋がりがない。離れる事は必要だが、離れすぎると、作品として成り立たない。
解;この弊を救う方法は、何れかの句を書き換える必要がある。

B−@ 二句目の変更
心閑無外事,誰説草坐足容身。
何曽見一人。

解;草の敷物が有れば、この身を容れるには足りる、と誰かが説ったが、それを実行したものは、嘗て見た事が有るだろうか?

B−A 三句目の変更
心閑無外事,麻衣草坐亦容身。
未知絶世塵。

解;結句と転句は連携しているが、承句とは連携していない。依って結句を書き換える必要がある。

4−
  秋思  張籍
落陽城裏見秋風,
欲作家書意萬里。
復恐怱怱説不盡,
行人臨發又開封。

@−起句を削除
家書意萬里。
復恐怱怱説不盡,
臨發又開封。

 幾つかの加除を行う
欲寫意萬里。
復恐怱怱説不盡,臨發又開封。

解;起句が欠けると、承句は転句に繋がりにくく成る。依って起句の要素を書き移す。

A−承句を削除
城裏見秋風,
復恐怱怱説不盡,
家書又開封。

 幾つかの加除を行う
客裏見秋風。
復恐怱怱説不盡,家書又開封。

解;承句を削除すると、多少の情報不足は生じるが、全体としてのバランスは崩れない。客裏である事を付け加える。

B−転句を削除
城裏見秋風,
欲作家書意萬里。
臨發又開封。

客裏見秋風。
欲寄家書意萬里,臨發又開封。

解;この作品は承句が虚句で有るから、転句としての代用が可能である。

5−
  秋日過員太祝林園  李渉
望水尋山二里除,
竹林斜到地仙居。
秋光何處堪消日,
玄晏先生満架書。

解;これは用事と云われる作品で、典故が用いられている。「玄晏先生」が典故である。詩題に玄晏先生の語彙を書けば、句中に書かなくとも、趣旨は伝わる。
解;この作品の典故は「比」と言う詩法が用いられていて、典故と対象とを対比させ、対象をより一層顕在化させる詩法である。
解;ご自分の作品に「玄晏先生」典故を用いれば、篤学の蔵書家との趣旨を述べる事が出来る。

@−起句を削除
斜到地仙居。
秋光何處堪消日,
先生満架書。

 幾つかの加除を行う
竹林接仙居。
秋光何處堪消日,玄晏先生書。

解;起句が欠けているので情報不足です。起句の要件を承句に移し、竹林接仙居とする。
解;玄晏先生は蔵書家だから、玄晏先生書とした。

A−承句を削除
望水二里除,
秋光何處堪消日,
玄晏先生書。

 幾つかの加除を行う
望水二里除。
秋光斜處君消日,玄晏先生書。

解;三句バラバラで何を言っているか分からない。
解;秋光斜處君消日として、秋の夕方、君は読書三昧とした。

B−転句を削除
尋山二里除,
竹林斜到地仙居。
玄晏満架書。

 幾つかの加除を行う
尋山二里除,鬱粗竹林接君居。
玄晏満架書。

解;一二句と三句の間には、一読では繋がらない距離感がある。この距離感は読者の探求心に効果的に働き、作者と読者を一体化させる効果がある。漢俳の特徴の一つである。

6−
  焚書坑 韋碣
竹帛烟消帝業虚,
關河空鎖祖龍居。
坑灰未冷山東亂,
劉項元来不読書。
解;この作品は用事と謂われる詩法で、典故が用いられている。劉備と項羽の故事と焚書坑である。

@−起句を削除
空鎖祖龍居。
坑灰未冷山東亂,
元来不読書。

 幾つかの加除を行う
空鎖祖龍居。
坑灰未冷山東亂,劉項不読書。
解;起句が削除されると、前置きの大きく捉えた部分が欠ける事となる。承句は起句の一部を顕在化させる作用がある。
解;合句の元来不読書では訳が分からないので、劉備と項羽を差し込んだ。

A−承句を削除する。
烟消帝業虚,
坑灰未冷山東亂,
元来不読書。

 幾つかの加除を行う。
烟消帝業虚。
坑灰未冷山東亂,劉項不読書。
解;承句が削除されても、全体としての趣は変わらない。ただ、全体としての趣旨の範囲が狭まった事となる。

B−転句を削除する。
烟消帝業虚,
關河空鎖祖龍居。
元来不読書。

 幾つかの加除を行う。
烟消帝業虚,關河空鎖祖龍居。
劉項不読書。
解;關河空鎖祖龍居。と劉項不読書。の間に、距離感があるので、敢えて第二句を変更する必要は無いと想われる。

7−
  秦淮 杜牧
烟籠寒水月籠沙,
夜泊秦淮近酒屋。
商女不知亡國恨,
隔江猶唱後庭歌。

@−起句を削除。
秦淮近酒屋。
商女不知亡國恨,
猶唱後庭歌。

 幾分の加除を行う。
夜泊近酒屋。
商女不知亡國恨,隔江後庭歌。
解;題に秦淮と有るので、二度使いを避けて、夜泊とし、それに合わせて隔江とした。
解;この作品は、用字法と言い、典故として、陳後主作玉樹後庭歌を下敷きにしている。

A−承句を削除
寒水月籠沙,
商女不知亡國恨,
猶唱後庭歌。

 幾分の加除を行う。
烟籠月籠沙。
商女不知亡國恨,猶唱後庭歌。
解;第一句と二三句が離れているので、要件は整っている。

B−合句を削除
寒水籠風韵。
夜泊秦淮近酒屋,不知亡國恨。
解;合句を削除すると、それに代わる句が必要となる。夜泊秦淮近酒屋,不知亡國恨。の二句がそれに当たる。即ち寒水籠風韵。と二意の構成となる。
解;「恨」と同じ韵字にするために「吟」を用いた。

8−
  旅夕 高蟾
風散古陂驚宿雁,
月臨荒戍起啼鴉。
不堪吟断無人見,
時復寒燈落一花。

@−起句を削除
荒戍起啼鴉。
不堪吟断無人見,
寒燈落一花。

 幾分の加除を行う。
古陂起啼鴉。
不堪吟断無人見,時復落一花。
解;起句を省いても承句があるので、さほどの情報不足は感じられない。

A−承句を削除
古陂驚宿雁,
不堪吟断無人見,
寒燈落一花。

 幾分の加除を行う。
風散驚宿雁。
不堪吟断無人見,寒燈照一巻。
解;承句を省いても、起句があるので差ほどの情報不足は感じられない。
解;雁と同韵の巻に入れ替えて合句を変更した。

B−転句を削除
古陂驚宿雁,
月臨荒戍起啼鴉。
寒燈落一花。

 幾分の加除を行う。
古陂驚宿雁,不堪荒戍起啼鴉。
寒燈落一花。
解;転句を削除しますと、厚みが無くなり平板と成って、詩の様態を為しません。
解;第二句の実を虚とします。

9−
  長安作 李渉
宵分獨坐到天明,
又策贏驂信脚行。
毎日除書雖満紙,
不曽聞有介推名。

@−起句を削除
又策贏驂信脚行。
毎日除書雖満紙,
不曽聞有介推名。

 幾分の加除を行う。
贏驂信脚行。
毎日除書雖満紙,聞有介推名。
解;この作品は、用字法と云って典故「介推」を用いている。典故を知る事が前提条件となる。
解;起句から承句へ順調に情報が連結しているので、起句だけでも転合への連結に不都合は生じない。

A−転句を削除
宵分獨坐到天明,
又策贏驂信脚行。
不曽聞有介推名。

 幾分の加除を行う。
獨坐到天明,又策贏驂信脚行。
曽聞介推名。
解;起句が実で承句が虚で、転句の代替としての要件を満たしている。
解;聞有を曽聞に次元を変更した。

B−合句を削除
宵分獨坐到天明,
又策贏驂信脚行。
毎日除書雖満紙,

 幾分の加除を行う。
獨坐到天明智。
又策贏驂信脚行,除書雖満紙。
解;合句を省いたので、押韵を何処に行うかの問題がある。
解;明を智に換えて紙として紙の韵に合わせた。
解;合句を省くと尻切れ蜻蛉の感は拭えない。これが漢俳の特徴でもある。

10−
  夜雨寄北 李商隠
君問帰期未有期,
巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭,
却話巴山夜雨時。

@−承句を削除
君問帰期未有期,
何當共剪西窗燭,
却話巴山夜雨時。

 幾分の加除を行う。
帰期未有期。
何當共剪西窗燭,却話夜雨時。
解;用字法典故で有る。
解;この作品は、中国人なら誰でも知っている作品である。
解;現在未来と次元の移動が設定されている。
解;この作品は次元移動詩法の典型なので、頭に叩き込む必要がある。

A−転句を削除
君問未有期,巴山夜雨漲秋池。
却話夜雨時。
解;転句は削除されているが、虚実虚の句意が配置されていて、然も巴山夜雨漲秋池。と却話夜雨時。が適度に離れているので、巴山夜雨漲秋池が転句の代替とされている。

B−合句を削除
君問未有書。
巴山夜雨漲秋池,何當西窗燭。
解;句末の燭に合わせて起句の期を書に変更した。
解;合句を省くと尻切れ蜻蛉の感は拭えない。これが漢俳の特徴でもある。

八 もう一歩の練習

 第七項に示した定型は筆者の好みで選んだが、今度は読者諸賢の好みで、三〇首を選び出し、自分なりの加除を試みてください。これでやっと百二十回の遊びを経験されました。

 これまでは、創作の前段階です。次項からやっと創作の段階に入ります。

九 漢俳の定型

 詩歌にはそれぞれの規約がある。漢詩詞は規約が難しいと云うが、漢俳は極めて緩やかで無いに等しい。

1−
 句の構成は五字句+七字句+五字句である。

2−
 押韵とは、句末の母音を揃える事を云うが、二句もしくは三句押韵である。

3−
 平韵とは、第一声調と第二声調の母音を云い、仄韵とは第三声調と第四声調の母音を云うが、漢俳は平韵に依る押韵も仄韵に依る押韵も可とします。また平仄混用も有ります。

4−
 一般には章末押韵が殆どである。

5−
 俳句に倣って「季語」を云う人もいるが、中国国内に於いて季語の定義が定かでないので、現状では、拘る必要は認められない。ただ季節に拘わる典古は有用である。

6−
 語彙は、古典語彙・文語体語彙・口語体語彙、何れも可である。

7−
 平聲とは、第一声調と第二声調の聲を云い、仄聲とは第三声調と第四声調の聲を云い、漢俳は漢語詩歌であるから、漢語による読みやすさも考慮しなければならない。即ち、平聲三聯・仄聲三聯は避けるべきである。

漢俳には三っの定型がある
其一 三句三章三押韻
        □□□□◎
      □□□□□□◎
        □□□□◎
             各句一句一章

其二 三句二章二押韻
        □□□□◎  一句一章
□□□□□□□,□□□□◎  二句一章

其三 三句二章二押韻
□□□□□,□□□□□□◎  二句一章
        □□□□◎  一句一章

十 簡単ですから、どしどし作りましょう。

 まず、漢俳の雰囲気を知って、次に構成を知りました。次に約束事を知りました。思ったより易しいのに驚きました。

 あとは第七項の作品例の雰囲気に倣って五七五字で綴ってみましょう。五字句も七字句も、句の中の文字の綴りは、文法に適っていればどの様に綴っても結構です。句の綴り方に工夫をしてみようと思ったら、漢詩詞の解説を参考にしてください。

 多読・多作・多推敲が上達の近道です。これまで述べてきましたが、漢俳と既存の漢詩詞とは、叙事方法が異なり、漢俳固有の方法です。どちらかと言えば、名前の示すとおり「俳句」に近いようです。漢詩詞壇の人は、どちらかと言えば不得手です。俳句詩壇の人の方が適しています。

 推敲は、俳壇の諸賢にお願いした方が適切な推敲が期待

漢俳考 01 漢俳発祥の経緯とその後TpPage
 本稿は筆者が一千余通を超える中国詩友との手紙のやり取りの中から、便箋の端端から彼らの私意を読み、これらの私意に則って筆者が独断で纏めた。便箋の端端の謂謂は、印刷物によって公表されている文面と、随分と異なっている事が往々にして有る。物事の見方には、表も裏もあり、公も私も有り、一通りでは無い事を具に知った。
 この頃、中国詩歌と、日本詩歌との交流の橋梁として漢俳が俄かに脚光を浴びているが、そもそも漢俳とは如何なるものか、如何なる課程で成立したのか、漢俳は俳句の中国版なのか?など、成立の周囲から検討してみよう。
 此処に趙朴初先生の作品を紹介しよう。和風起漢俳。の漢俳の文字を取って、この様な五七五字の作品形式を「漢俳」と呼称したようだ。
 緑陰今雨来,山花枝接海花開。和風起漢俳。(開韵)
2007年4月11日来日した温家宝首相は、12日は国会に臨み皇居を訪問した後、夜の経済五団体主催の歓迎会に出席し、前夜ホテルで創ったという次の漢俳を、スピーチノ中で披露した。
   中国 温家宝
和風化細雨
桜花吐艶迎朋友
冬去春來早
其一
 漢俳の字義について、日本の「俳句」と言う名称へ追従して追称したと言う場合は、名称への追称で有るから、漢俳も名称であって、日本俳句と同義であると考えられる。註:俳句を字義に依って読むという人も居られようが、専家で無い限り、単なる名称として扱われている。
其の二
 漢俳の字義を調べれば、発議者が中国人であるから、中国語字典の字義を拠り所に、漢の文字は☆漢水 ☆朝代名 ☆男子 ☆漢族などがあり、俳の文字は☆古代雑戯 ☆滑稽戯 ☆也指演這種戯的 ☆諧謔 ☆玩笑。と成る。
 依って、漢俳を文字通りに読めば、漢字、或いは漢詩による“たわむれ”、と言える。勿論これは名称ではない。
其の三
 中国に於ける詩詞の地位は、中国人が屡々、「中国は詩の國である」言うように、職場、近隣、夫婦、家庭、小説など、諺、楹聯、詩、詞、曲、等の形で日常生活のあらゆる場面に登場し、語彙には精神に関わる言葉がとても多い事に気づく。この様に詩詞は、中国人の骨肉と相対する一翼としての精神を担っている。これは、日本の詩歌とは次元を異にする文化である。
 中国人は詩詞を教養の一環としており、家の出口や大形看板、祝儀などに楹聯がよく創られ、誕生や結婚、入学や就職、なにか有る度に数えればきりがないほど、詩詞の作品をよく創る。日本にも折り込み都々逸や折り込み川柳が有るが、漢俳も文字数と文字を織り込んだ、折り込み詩詞の類に入る。
其の四
 中国人の気質に触れてみよう。中国人の文化歴史に対する思い入れ、或いは尊厳は、日本人の想像を遙かに超えている。
 日本で詩歌を嗜む人は、趣味人或いは職業専門家であるが、中国では、職業専門家は存在しないし、趣味人だけのものではない。文字の読み書きが出来れば、精神の修養として誰でも詩詞は愛好する。これは孔子以来の伝統である。
 詩詞は中国人の精神を担う一翼であるから、俗と相対峙した関係を持ち、詩詞文化の権威者の多くが、詩詞を愛好するが故に、自己や家庭の経済益を犠牲にしている事実を、言い換えれば俗から離れている事を誇りとしている。
 相手に合わせると言う事は、一歩間違えば曲学阿世と誹られかねない。詩家の最も卑下する行為と成ってしまう。これに拘わる詩語が枚挙に遑がないほど多い事からも言える。
 この様な文化歴史の下に於いて、詩詞の権威者が、「相手に合わせて新たな詩形を提唱する」等と言う事は、とても考えられない。これは日常にも言える事で、滅多な事では相手に合わせると言う事はしない、と言うのが中国人一般の気性である。
其の五
 中国人がどれほど日本詩歌への認識を持っていたかに付いて言えば、日本人によって、漢字書きの日本詩形としての、曄歌・坤歌・瀛歌・偲歌などの新短詩が、提案され速やかに受容された事によって証明される。
 中国には以前より、日本詩歌の漢字書きを手掛けた者が居たのだが、未だ容認されては居なかった。だが中国側では既に日本詩歌を漢字書きにする手法を熟知していたので、日本側からの提案があった時に、速やかな受容が為されたのである。
 余談だが、中国人による日本詩歌の漢字書き手法が定型として受容されなかったのは、手法の認識とは別の要因が考えられる。即ち、同じ中国人で有れば、風土気質の弊害に依って提案並びに其の先の受容は困難を極め、偶々新短詩の提案者が外国人(日本人)が爲に可能で有ったといえる。
 以上五項目の考察によって、其一の漢俳の日本俳句追称説は排除され、「漢俳」とは日本俳句の追称ではなく、「漢字による戯れ」と理解される。
 中国側では、其の五に述べる通り、当初から漢俳と俳句は、名前は似てはいるが、中身が全く違う事は百も承知である。
 今から20年ほど前、日本俳壇と中国詩壇の交流会席上、趙朴初先生が日本俳壇への敬意を込めて“漢俳”を披露したと聞くが、其の三に述べる通り、其の時々の状況に応じて自己の心を顕す手段として詩詞を披露する事は、中国文人の日常茶飯で、殆どの文人は詩詞の創作を教養の一環としている。
 此の交流会の席上でも、趙朴初先生は日常的な一環として、文字数と漢と俳の文字を織り込んだ、日本で言うところの折り込み詩詞の如き、作品を披露したのである。其の四に述べる通り、「漢俳」は、単なる席上の余興であって、日本俳句と中国詩詞を連結させるための新たな詩形の提案ではないのある。
 折り込み作品を披露した人が、偶々著名人で有ったが爲と、日本側が反応を示したが爲に、普段ならその場で消えて無くなって仕舞う作品が、新たな生命を得て、今日の成長を見たのである。
 依って、漢俳が俳句と相互翻訳の出来ない事は、当然の事だし、漢字の五七五と平仮名の五七五の云々を論じる事自体、無意味である。
 漢俳は文字数と文字を織り込んで、その場に合わせて歓迎用に作られた即興小令の一つで、日本俳句との共通性はない。強いて言えば、其の二に述べる通り、俳の字義、即ち諧謔玩笑滑稽戯で有ろうか。
 ただ歳月の経過と共に、いつの間にか、漢俳が呼称となってしまい、恰も漢俳と俳句が相通ずる詩形であるかのような、錯覚に陥っているふしがある。
 漢俳発祥の経緯は以上の如くであるが、その後日を追って独自な成長を遂げ、発祥の経緯とは関わりなく新生独自な詩形として、多くの詩家に依って様々な研究が為されている。

漢俳考 02TpPage
 今から18年ほど前、日本俳壇と中国詩壇の交流会席上、趙朴初先生が日本俳壇への敬意を込めて“漢俳”を披露したと聞き及ぶ。
 此の余興として漢字の戯れが、字義の読み違いや中国人気質の理解不足から、いつの間にか「新たな定型を披露した!」に入れ替わってしまった。更には中国詩壇が日本詩壇に手を差し伸べた等という言葉さえ出る始末。中國には古来より2千余の詩歌の定型があるが、更に中日友好の意図を込めて“漢俳”を追加したのだとも言う。
 さて、中国詩詞には詩の六義と言い、叙事三義即ち賦比興を基本とし、細大洩らさず述べて、これを一点に絞り込む手法と言える。そして鴬啼序 宋高似孫の作品は四段241字で少年游 周邦彦は59字、通用する詞の最小は16字の十六字令、七言古詩では白楽天が詠む“長恨歌”は120句で、楚辞離騒は375句、唐詩選では杜甫の“落日洛城謁玄元皇帝廟”「豪韵」が五言排律で28句の作品がある。
 現在でも中国人の作品は大半が漢字50字以上の作品で、日本の平仮名に換算すれば約100字以上の作品と言える。日本に広く流布している20字の絶句や、今世紀に新たに加わった17字の漢俳などは小令の部類に入る。
 中国詩詞には、当初述べた通り一貫した叙事法があり、文字数が少なく成ったからと云って、この手法は変わらず、単に簡略化或いは凝縮したと云うべきである。言い換えれば、長恨歌”120句の叙事法も16字の十六字令のそれも同じだと云える。
 中國詩詞は、長文から短文への移行と云う歴史的経緯があり、例えば律絶は律詩から派生し、古絶は古詩から派生したと云う経緯がある。
 通用する詞で最小と言われる十六字令と七言四句詩の関わり合いを検証してみよう。
春夜洛城聞笛 李白
誰家玉笛暗飛声,散入春風満洛城。此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。
声,散入春風満洛城。聞折柳,  不起故園情。
客中行 李白
蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛来琥珀光。但使主人能酔客,不知何処是他郷。
 七言四句の詩から16文字を残して削除すれば、残った16文字はちゃんと十六字令の作品として成り立つ。この事は十六字令が偸声と云われる所以でもあり、たつた16文字の詞でも其れは28字の作品を骨幹にして居る事の証明ともなる。
 漢俳(漢字の戯れ言)を披露した趙朴初先生が、従来とは根本的に異なる画期的な叙事法を披露したとは聴いて居ないので、文字数は17字でも手法は中國の従来の手法を踏襲したと思はれる。
 中国詩の必要最小限の要素は、韻母と声調の二っである。そして韻母を重ねて用いる事を押韻とて云い、漢俳も的確に押韻されている。
 中國から寄せられた作品を鑑察すると、次に示す2つのパターンに大別される。
歓迎日本吟誦代表団 丁芒
古韻入東瀛。千年島国伝唐音,万里飄簫情。
は古韻入東瀛yingの章と、千年島国伝唐音yin+万里飄簫情qingの章との、二つの章から構成されている。
風雅自存心,武夫槍炮任狂鳴。終不盖天声。? は風雅自存心xin+武夫槍炮任狂鳴mingの章と終不盖天声の章shengとの、二つの章から構成されている。
 韻母と句の配置は前述の如くである。この他に、箇々の字句を見ると、文字数の少ないことを補う手段として典古の使用が見られるなどして、「少令」とさほどの相違はない。即ち“漢俳”は少令の一つであると云え、十六字令が七言四句(漢字28字)と同等の叙事が出来ることから、1文字多い漢俳も七言四句(漢字28字)の叙事はされていると思われる。
 視点を移して、同じ「俳」の文字を使っている“俳句”との関係はどうかと云うと、披露の動機からして日本俳句との相互疎通は前提にしていないのだし、単純に仮名綴りに換算しても文字数が二倍ほどあり、漢俳は少令の一つだとも云えるので(中国人も少令の一つであると云う)、俳句との整合性はないのではないかと思うが、その論は俳句の専家に委ねよう。

漢俳考03TpPage
 昨今の漢詩詞と俳句の交流の現状に鑑み、漢詩詞の詩法を基準にして俳句を解析した論考が欲しいのである。身辺に見あたらないので、専門外を承知で考察を試みた。
1−概論
 漢俳は近来、日本詩歌と中国詩歌の橋梁として、俄かに脚光を浴び、中国を発祥の地とする小令(詞)で有る。この詞の形式は、日本俳句の五七五の音数律數の配置に倣って、漢字五七五の三句で構成される。
 この詞の形式の音数律韻律などの要素と、日本の詩歌との整合を調べた結果、この詞形式に符合するものは無かった。
2−俳句との比較
 この詞の名称が、漢俳という以上、俳句との整合性を調査するのが妥当だろう。同一人が創った両種の作品があるので検討の材料として提示しよう。
俳句   朝顔や重たしと露揺りこぼす    李芒
漢俳   牽牛帯露開,晶瑩猶恐汚顔色,揺曳落塵埃。
俳句に記載された情報は、
1−朝顔や                 牽牛花      
2−重たしと                重
3−露                    湿露       
4−揺りこぼす           揺動○落
4個の情報である。
これに対し漢俳の場合は、
1−牽牛花               
2−帯露
3−開                 
4−晶瑩
5−猶恐                
6−汚顔色
7−揺曳落               
8−塵埃。
 表面上の情報量だが、俳句が4個の情報に対して、漢俳は8個の情報が叙述されている。仮に、俳句が原作で、漢俳が翻訳ならば、明らかに漢俳は原作にたいして余分な情報が追加されている。その情報量は2倍となる。これとは逆に、漢俳を俳句に翻訳したとすれば、情報量は半分である。また次に同一人の作品を一首提示して検討を試みよう。
俳句   読み終えてゲラに白髪や春の宵     李芒
漢俳   校様方看完,紙上瑩瑩飄白髪,春宵月已残。

俳句に記載された情報を提示すると、
1−読み終えて                  読結束       
2−ゲラに                    校様上
3−白髪や                    白髪        
4−春の宵                    春宵
4個の情報である。
これに対し漢俳は、
1−校様                 
2−方看完
3−紙上                 
4−瑩瑩
5−飄白髪                
6−春宵
7−月                  
8−已残
 これも文字で書かれた情報は、俳句が4個の情報に対し、漢俳は8個の情報である。假に俳句を原作として、漢俳を翻訳したとすれば、明らかに、漢俳は原作に対して多くの情報を付け加えている、その情報量は2倍である。その反対に漢俳を俳句に翻訳したのなら半分である。

3−検討
 翻訳若しくは置き換えと謂う場合、原作と情報が同じで無ければならない。前項の調査結果を見ると、表面上明らかな情報量の相違がある。然しこの事を以て、記載内容が同一ではないとは言い難い。
 同じ漢詩詞ならば、殆ど同じ叙事法であるが、俳句と漢俳を比較すると、漢俳は韻律、俳句は音数律、漢俳は起転結、俳句は起転と、互いに叙事法を異にしているのである。
 俳句と詩詞の構成要素はその他にも、対象に対する視点の位置、対象の捉え方、即ち対象を広範に捉えるか、狭窄に捉えるか、捉えた対象を収束させるか、拡散させるか、などの問題がある。漢俳と俳句は、簡単に言えば、詞と俳句との詩法が交錯しており、極めて複雑な手法を必要とする。
 漢俳は小令で有るから、漢詩詞の詩法に順じるので、作品に内包する情報の集積は容易いが、俳句の場合は高度緻密な俳句の手法に依るので、情報の集積が容易ではない。比較検討という場合には、同一条件が原則となるから、俳句の場合は、文字以外の情報として読者の感得、即ち文字に依らない情報も集積の対象に含めなければならない。
 この様な条件を揃えた上で、両者を比較すれば、漢俳と俳句の双方に、情報量の相違はさほど無いように思われる。
 これらの結果を検討すると、此処に示した漢俳と俳句は、概ね翻訳若しくは置き換えの関係で有ると言える。只この結論は、俳句は文字に依らない読者の感得情報も集積の対象としており、この前提に依らなければ、例示した四作品は、各々無関係な個別の作品といえる。

4−置き換えの注意点
 漢俳から俳句への置き換えの場合は、漢俳の起転結の情報を俳句に移し替える。そしてその結果、俳句を読んだ読者の感得が、漢俳の結句と同じになるように案配する。
 俳句から漢俳への置き換えの場合は、俳句の文字情報と、俳句を読んだ読者が感得するであろう文字以外の情報をも総て移し替える。俳句を読んだ読者が感得するであろう総ての情報を移し替えなければ、俳句の情報量と漢俳の情報量は、明らかに相違があり、相互の置き換えは不可能であると謂わざるを得ない。

5−漢俳の創作
 前項記載の検討は、情報量にのみ視点を合わせたが、詩詞の構成要素はその他にも、対象に対する視点の位置、対象の捉え方、即ち対象を広範に捉えるか、狭窄に捉えるか、捉えた対象を収束させるか、拡散させるか、などの問題がある。
 漢俳と俳句は、簡単に言えば、詞と俳句との詩法が交錯しており、極めて複雑な手法を必要とし、俳句の創作よりも更に難しいのではないかと思われる。

漢俳考04TpPage
第一項 総論
 漢俳は中華人民共和国建国以後に誕生した定型で、歴史は極めて浅い。
 この定型の、他の定型と基本的に異なる点は、中国側が、2005年3月に、中國北京に漢俳学会を設立し、日本の俳壇を招いて、俳壇との詩歌交流をするための共通詩歌として、披露した点である。
 漢俳は、この日を堺に大きくその性格を転換したのである。本稿では、漢俳学会成立以前の漢俳を殊に、「漢詩詞類型漢俳」と区別して解説する事とする。
 此によって、俄に脚光を浴び、この新顔の定型に興味を示す者も現れた。
 此によって、漢詩詞とは全く詩法を異にする俳句愛好者が、漢字詩歌に手を染める事となった。依って、漢詩詞詩法で漢俳を扱えば、俳句詩法との間で齟齬が生じ、俳句詩法で漢俳を扱えば、漢詩詞詩法との間で齟齬が生じる事となる。
 なお、本稿に於ける、中国国内の状況や、詩歌に対する見方や判断は、日本という外国から看た、意見である事を前もって断っておく。

第二項 漢詩詞類型漢俳の誕生以前

 中華人民共和国成立以後、人心の安寧を諮るための一つの手段として、文字の簡略化と詩歌の普及が図られた。
 既に漢民族には長い歴史に培われた定型詩歌が有るが、革命による新国家建設という政治状況と、従来の定型が、必ずしも簡易とは言えない現状から、自由詩の普及が図られた。
 然し、その後も自由詩は國の内外に廣く普及して大衆化される迄には到らなかった。
 長い革命の時代を経て、国内も平穏と成り、改革開放の時代が到来した。
 改革開放の時代と成って、長年にわたり、沈静化していた古典詩歌が、息を吹き返したのである。
 各地に詩詞壇か結成され、日本人との詩歌交流も、雨後の筍の如く、数は増え成長も著しく早かった。

第三項 漢詩詞類型漢俳の誕生

 詩歌関連交流は、漢詩詞、俳句、短歌、吟詠、詩舞、書道などの、団体や個人的な交流が盛んに行われた。
 偶々、俳壇交流の席上、中国側が日本側俳壇に敬意を払い、五七五字句の漢字による即興詩を披露した。この事は、日中双方に興味深く受け取られ、「(漢詩詞類型)漢俳」と言う、定型としての名称を得た。
 その後(漢詩詞類型)漢俳は、中国国内で詩歌普及の方途として、歓迎され、徐々に広まっていった。

第四項 漢詩詞類型漢俳の中國での環境

 古典定型は、長年の経過によって習熟の度を高め、著者が知る限りでも、数百の詩法が云われている。
 古典漢詩詞は詩法の難しさが却って障害となって、誰でも簡単に創作できる状況ではなかった。
 かと云って、簡易に創作出来るであろうと思われた自由詩も、予想に反して思ったほどの拡大を見せなかった。
 時は移り、改革開放政策が叫ばれた丁度その時、詩法に余り囚われない、自由詩と古典詩の折衷した定型としての、(漢詩詞類型)漢俳の誕生である。
 誕生して間もないから、詩法も整っていない。此が却って幸いして、詩歌の知識が少ない者でも、自由に趣旨を綴る事が出来、容易に創作が出来るとの評価を受け、此が詩歌大衆化の要求に合致した。

第五項 漢詩詞類型漢俳の日本での反応

 (漢詩詞類型)漢俳誕生と詩歌大衆化の情報は、既に二十年前に、日本の漢詩壇にも、伝わった。
 (漢詩詞類型)漢俳が、日本の漢詩壇に紹介された理由は、「詩法知識の乏しい者でも簡単に対応出来る」から、である。
 漢詩壇では、古典定型を創作出来る能力があるのだから、敢えて、簡単な定型を取り入れる必要はない。
 又、一時期(漢詩詞類型)漢俳が話題となって、定例討論会の議題に上ったが、編者の知る複数の漢詩壇でも、(漢詩詞類型)漢俳創作の必要性は無い!との結論に到った。
 日本漢詩壇では、(漢詩詞類型)漢俳に関する情報は夙に広範に伝わり、恐らく半数の漢詩人は、既に二〇年前に(漢詩詞類型)漢俳の創作を試みている。
 編者は、日本詩歌壇の情報には疎いが、例えば会員一千万人と自称する俳壇に於いて、その半分の五百万人に(漢詩詞類型)漢俳の情報が伝達されたであろうか?創作を試みたであろうか?研究討論会を開催したであろうか?

第六項 漢詩詞の側から看た漢詩詞類型漢俳

 (漢詩詞類型)漢俳誕生当時、中国詩詞壇では、知識未熟な者でも対応出来る定型詩歌、と云はれ、この簡便性が幸いして、詩歌の大衆化が図れると云われた。
 編者も既に二〇年前(漢詩詞類型)漢俳の創作を試み、多数の添削に応じたが、そこで得た結論は以下の如くである。
 (漢詩詞類型)漢俳を純粋な漢詩詞と捉えて、未熟な詩法の儘で対応するのならば、極めて簡単に創作する事が出来る。
 然し、その結果として、長年に亘る衆目に堪えられる作品が出来る確率は低い。
 詩法を駆使して対応する場合は、余りにも従来の定型からかけ離れているので、詩法の安定的な対応が、極めて難しい。
 安定的な詩法の対応を為す技量を得るためには、少なくとも百余の詩法を熟知した後で無ければ、対応が不十分と成るである。
 依って衆目に堪えられる作品を創る事は、とても難しく、七言律詩創作以上の技量を必要とする。

第七項 漢詩詞類型漢俳創作の傾向

 漢詩定型の殆どは、偶数句、四句以上で構成されている。(漢詩詞類型)漢俳は三句構成であるから、起承轉合の何れかが欠落する。更に、五字句と七字句が混在する。
 この事は、従来の定型とは基本的に異なり、従来詩法の対応に頗る支障を来す。
 依ってこの事を解決するには、新たに高度な詩法を創出しなければならない。
 然し、殆どの創作者は、安易な方向を選び、自由な発想、新たな詩法となどと自称して、安直に逃れる傾向がある。

第八項 俳句の関連詩歌として看た漢俳の定義

 漢俳学会設立を契機に、(漢詩詞類型)漢俳は大きく其性格を転換した。
 即ち、漢詩詞類型漢俳が俳句関連漢俳に成ったのである。俳句の詩法は漢詩詞の詩法とは全く異なるので、漢俳を日本俳句と関連付けて対応する場合は、既に漢詩詞の一定型ではなくなる。即ち、漢語綴りの俳句と云う定義が、妥当である。
 依って、漢俳は、漢詩詞とは性格を異にし、詩法を異にする處の、日本俳句関連漢語綴り定型詩歌と定義するのが妥当である。

第九項 漢詩壇の漢俳対応

 漢詩壇は漢詩詞の創作を専らとしていて、俳句関連の詩法は学んでいない。依って、漢詩詞壇として漢俳創作に対応する事は、事実上不可能である。
 又、総論で示すとおり、漢俳提案の相手方は、日本の俳壇であって、日本の漢詩詞壇ではないのである。
 更に、第四項での結論の示すとおり、漢俳の創作を殊に取り上げる必要は全くない。漢俳は、数百有る定型の一つに過ぎない。
 又更に、詩法の全く異なる俳句の学習をすると、漢詩詩詞法との混乱を生じ、その結果、漢詩詞の創作が拙くなると云う、現実的な問題がある。

たとえ話
 漢詩詞壇が漢詩詞を創作するのは、中国服を着た京劇人形を作っている様なもの。
 或いは、四角い穴に四角い棒を通すようなもの。

 俳句関連漢俳を創る事は、中国服を着た日本人形を作るようなもの。
 或いは、四角い穴に三角の棒を通すようなもの、或いは三角の穴に四角い棒を通すようなもの。

第十項 漢俳入門以前の基礎知識

 漢俳は中国側で云うとおり、初学者でも、初歩的な対応は十分に出来る定型である。
 著者は、専門外で漢俳への対応は出来ないが、門前に到るまでの対応は出来る。
 漢語詩歌の知識として
1−平仄に付いて
2−韵に付いて
3−語彙の作り方
4−句の作り方
5−句意配置の要領
 以上五項目は、漢語詩を綴る上で最低限の必要知識である。以下その大略と練習法を示そう。練習にはその所用時間を傍記したので、参考にされたい。
 なお、此から行う練習は極めて易しいから、他人に教えを請う必要は全くない。
 幾らのんびりしても、一ヶ月で基礎練習は完了するから、その後は、俳句の知識を持った者に教えを請う必要が有る。
 本屋の番頭ではないが、練習用のテキストが必要なので直ぐに用意して貰いたい。
呂山 太刀掛重男著
詩語完備 だれにもできる漢詩の作り方
発行所 呂山詩書刊行会
〒737- 呉市長ノ木町8-36  電話 0822-24-1088
振替 広島 5-6473番
注;東京神田 松雲堂書店でも店頭販売している。

第十一項 平仄について

 漢語を多少なりとも学んだ経験がある者なら、ご存じと思うが、漢語では概ね四っのアクセント、即ち四聲を縦横に使って、多数の漢字を読み分けている。
 先ず音律の面から述べると、漢語詩には、流暢に読めて、然も感情の移入が容易である!と言う条件がある。
 この条件を満たす爲に、多年の淘汰に耐え抜いた作品をモデルとして、これに倣って、文字数とアクセントを予め決めて置いたものを定型と言う。
 そこで、漢語詩では、予め定型に定められたアクセントに合致した語彙を用いて、句を綴ると言う作業をしなければならない。これは日本語と、ちょうど逆で、こうして造られた作品は、流暢で感情に満ちた作品となる。
 お手元のテキストには、白○、黒●、の印が書かれているが、この印は、文字のアクセントを示す印で、現代漢語では、第一聲調を陰平と言い、第二声調を陽平と言い、共に白○に該当し、第三聲調と第四聲調は共に仄聲と言い、黒●に該当する。

第十二項 韵に付いて

 韵とは、日本語に言い換えれば「母音」に相当する。日本語の母音は「あいうえお」と、とても数が少ないが、漢語ではアクセントが母音構成要素となるので、とても数が多く、古典韵では、百六韵有る。
 時代の推移と共に、漢語の発音も変わり、また詩法も変わり、現在では、三十六韵・三十二韵・二十八韵などが云われている。
 漢俳を学習する者は、現代中国の方々との詩歌交流を目指している訳だから、現在中國で用いられている「韵」を用いるのは当然だが、残念ながら初心者用の現代韵に依るテキストが販売されて居ない。
 依って、古典韵のテキストを使用する事となる。なお、古典韵から、現代韵への移行は、多少異同はあるが、概ね分割数の縮小だから、後日此を修正する事は、簡単に出来る。
 テキストには、平聲の韵◎だけしか編集されていないが、韵は、平聲○と仄聲●の両方に有るので、練習の期間を過ぎ、漢俳の指導者に付いたなら、現代通用の韵と合わせて仄韵に付いても、指導を受けられると宜しいでしょう。

第十三項 語彙の作り方

 漢俳の綴りは、漢字五字句+七字句+五字句の構成である。更に五字句は二字+三字の構成で、七字句は四字+三字の構成である。四字句は一字+三字の構成と二字+二字の構成と三字+一字の構成である。
 これは、仮に四字を二字+二字とすると
□□+□□□+□□+□□+□□□+□□+□□□
 これを看ると、四字と三字の組み合わせが基本にある事が分かる。

第十四項 句の作り方

 準備無しに五七五字句に挑むのは聊か難しいので、先ずは三四三字句の取り扱いから練習を始める。
 テキスト76頁を開くと、□の中に庚・尤の字が書かれている。此は韵の分類で、□の上側と下側の文字の末字の母音が同じである事を示している。
 練習と言っても、無闇に並べるのではなく、後々使える技倆と成るように、●○◎。●●○○,●●◎。の平仄押韻譜を示した。
 押韵とは、一作品の中に二カ所以上同じ母音を配置する事を云い、漢俳でも末句を含み二カ所以上と定められている。
 さあ!練習を始めましょう!
 此処で一番大事な事は、何を述べようか?等という事は、一切考えない事である。
 ただ漢語文法に違わぬように文字を並べる事だけに注意を払って下さい。
 少し字句が並べられるようになると、色々と自分の思いを書きたく成るのだが、グッと我慢して欲望を抑える事、此が上達の近道です。
 ●○◎。●●○○,●●◎。に倣って文字を充ます。
尤韵上段から「満村秋」を選びます。次ぎに●●から、「萬頃」を選び、○○から「黄雲」を選びます。次ぎに、尤韵下段から「半日遊」を選びます。
 此を全部合わせますと、
 
満村秋。萬頃黄雲,半日遊。

が出来ました。

 同様に、繞村流を選んでは、四字と三字を付け合わせ、一つ完成させます。同様に、野村幽・夕陽収を次々と選んで、同様に完成させます。
 最低限百箇は創って下さい。延べ十五時間で完了する。
 同様に●●◎。○○●●,●○◎。を創ります。これは、尤韵下段を選んでから、次は上段から選べばよいのです。最低限百箇は創って下さい。延べ十時間で完了します。
 何時も同じ韵では飽きてしまいますから、このテキストは何処を捲っても同じ構成ですから、色々な頁を開いて、創ってみましょう。

第十五項 句意配置の要領

 句の作り方も、韵の事も覚えた。二字も三字も自由に扱えるようになった。今度は、この知識を使って、句意配置の要領を覚えよう。
 また、75頁を開いて下さい。
 ○○●と○●●は、頁の下の方に「転句」と書かれたところがあります。そこから選べばよいのです。

●●+○○●, 目に映る景を書く
○○+●●◎。 その景を看た自分の思いを書く
○○+○●●, 前句に関わりない自分の思いを書く
●●+●○◎。 前句の思を景に置き換えて書く

 尤韵から選んでみましょう。このときも、頭の中は空っぽです。大したことは考えていない。ただボンヤリと窓の外を見ているだけである。これが練習には最も効率的な方法である。
一路西郊景,
題詩紅葉秋。
無人田舎趣,
柿熟夕陽収。

 こうすれば簡単に出来ますから、五十箇創って下さい。延べ十時間で完了します。
 此で、門前に到る準備は完了しました。最所から順を追って練習すれば、ここに至るまでは人様に教えを請う必要は全くありません。
 簡単に創る積もりなら、五字句+七字句+五字句と並べれば良い訳ですから、漢俳は、もう何時でも創る能力は備わりました。
 ただ此が、漢俳と言えるかどうかは、漢俳の分かる人に聴いてみないと分かりません。其れには、漢詩詞が出来て、更に俳句が出来る人を探さなければ成りません。

第十六項 入門しよう

 漢俳は非常に易しいから、此でほぼ綴り方は習得した。素人に見せるなら、此までの学習で十分対応出来る。
 ただ、少しでも評価を得るには、指導者に教えを請うのが手っ取り早い。然し漢詩詞が綴れれば誰でも良いという訳ではない。
 漢詩詞が出来て、更に俳句が出来る人でなければ、その任に当たる事は出来ない。
 漢詩詞関係の人に教えを請うても、俳句に関連する漢俳は教えて貰えない事を念頭に置く必要がある。

第十七項 海外論文の視点

 漢俳は誕生して日も浅いので、詩法も未熟である。依って詩法の論説を為す者も多い。然し此処で、論拠を見定める必要がある。漢詩詞の中の一定型としているのか?俳句との連携を承知しているのか?何れかを見定めなければ成らない。
 俳句との連携を拠点にしているのでなければ、2005年3月漢俳学会が示した日本俳句との連携を前提とした漢俳の詩法としての論説には成らない。
 論者がどれ程に、俳句を理解しているか?を先ず見定めなければならない。

温家宝首相の漢俳披露をめぐって TopPage
今田 述
 温家宝首相が経済五団体の歓迎昼食会の席上自作の漢俳を披露されてから、漢俳についてのご質問が多々ありますので、以下、主な疑問点にお答えしておきます。

1.漢俳の法則

 漢俳は、五言・七言・五言の三行で詠む以外、法則はありません。但し、五言、七言、五言の各句は中国語の語法に従って書かれます。そして
(イ)平仄が下三連になるのは避けること。
(ロ)七言句は二四不同、二六同が原則です。
この法則に基づいて五言、七言を組成する過程について、林岫女史は『漢俳首選集』(1997年青島出版社)の中で次のように解説しています。
 周知のように格律詩は、音声の交替で抑揚的なイントネーション効果をあげるための 平仄が必要であるだけでなく、粘対も求められる。漢俳の場合、粘対の必要はなく、三行の律格句はそれぞれ独立している。
  まず、唐代白居易の「劉十九に問う」と宋代の趙師秀の「客を約す」を例にして律格詩の四つの基本的な律格句を見よう。
  五言詩
緑蟻新○酒,   ●●○○●  A
紅泥小火爐。    ○○●●○  B
晩来天欲雪,    ○○○●●  C
能飲一杯無         ●●●○○ D
○;pei1 没有過濾的酒

  七言詩
黄梅時節家家雨, ○○●○○●    A
青草池塘處處蛙。 ●●○●●○    B
有約不来過夜半, ●●○○●●    C
閑敲棋子落灯花。 ○○●●○○    D
  七言と五言の基本的な律格句を比較すれば解るように、頭の二文字以外の部分はすべ て同じであるばかりでなく、律格句間(例えばAとB、BとC)に粘対が要求されるため、排列組み合わせに法則的な変化(絶句と律詩のそれぞれの四つの形に変化できる)を呈している。
  律格詩より漢俳はずっと簡単で、ABCD四つの基本式から自由に三つを取るだけで(重複しても構わない)創作できる。例えば
席地試清齋。            D
松有茸兮海有苔,          B
寶主尽無猜。            D (趙樸初)
籬畔舞姿昂。            D
歌詞出自名家手,          A
和音久繞梁。            B (林林)
藕塘風雨歇,            C
水波溶漾朦朧月。          A
小荷軽綻葉。            C (丘仕俊)
客里人衰歇,            A
黄昏独対梨花雪。          A
不負平生約。            A (鄭民欽)
  このように思うままに組み合わせ、さまざまな形を取ることもできる。言いかえれば漢俳は句ごとの平仄の韻律をよく調和させるだけで、音楽の美的感覚を得ることができる。
  (林岫主編『漢俳首選集』付録『和風起漢俳』)

2.漢俳の性格
 如上の通り漢俳の法則は古典詩に比して実に自由です。それよりも大切なのは、漢俳が中国人の一世紀にわたる俳句への憧憬と研究の結果として生まれた詩型であることを忘れてはなりません。俳句が古典詩の形式を保持しながら、現代詩として生きているように、漢俳も格律詩の形式を保持しながら、現代短詩を目指しているのです。
 それは単に古典詩の五言、七言を三行交互に並べるという性格ではなく、むしろ俳句が持っている極端な省略手法や象徴的表現を目指すジャンルと考えられます。
 その性格について、林岫女史は次のように語っています。

 私は常々現代の早いテンポの社会で生活している詩人の感情を表現する、何か一つの 新しい詩型はないかと探していたのです。一九八四年四月、日本の浜名湖で花見をした とき、最初は五言絶句をつくりました。
初試桜花雨,疑忘烟火語。
風来一快襟,翠浪揺春嶼。
 その五言絶句を後に漢俳に直しました。
翠浪揺春嶼,      翠浪 春嶼を揺する,
浅立疑忘烟火語。     浅(しばら)く立ちて 烟火の語を忘れしかと疑う。
初試桜花雨。     初めて試いし 桜花の雨。
 それで、私自身も漢俳が出来たことに驚きを感じました。私は遂に現代詩人の感情を表現する、新しい詩型を発見したということを感じたのです。
 (二〇〇二年于成城大学『林岫講演会記録』)

  中国詩人は日本の俳句に、簡潔ということを学ばなければならないと、私は感じてお ります。一論の花や、一つの秋山などを描く場合は、中国の詩人がなるべくその特徴を全面的につかもうとするのに比べ、日本の俳人は簡潔に一枚の花びらや一枚の紅葉、または一筋の煙や一片の雲をとらえて描くだけで十分であるという、これが日本の俳句の特色だと思います。
  (二〇〇二年于成城大学『林岫講演会記録』)
 確かに林岫女史の五言絶句と漢俳を比較すると、漢俳の方には無駄をそぎ落とした魅力があり、明らかに漢俳の方が優れています。つまり絶句から転句を削り、代わりに「浅立」の二字を当てたところに、俳句的省略の手法が見られます。
 俳句は瞬間を切って落とすような表現を用いますが、林岫女史が例に引いた上記の四首のどれを見ても、絶句の作り方とはどこか変わった、どちらかと云えば日本の俳句を目指した表現が追求されていることが解ります。
 無論、現在多数の中国詩人が詠んでいる「漢俳」の中には、旧体詩の五言、七言を三句並べたような作品が多々見られます。殆どの中国人は俳句がどんな文芸か知らないのですから、それはやむを得ない所でしょう。

3.温家宝首相の漢俳
 温家宝首相が、経済五団体の歓迎昼食会の席上、「昨夜出来た漢俳です」と断って次の作品を披露されました。
和風化細雨yu3          和風 細雨と化す
桜花吐艶迎朋友you3  桜花は艶を吐いて 朋友を迎う
冬去春来早zao3  ?? 冬は去りて 春来ること早からん
 温首相の訪日のテーマは中日友好路線の回復だったようで、これは正にその感慨を詠み込んだ一首といっていいでしょう。細雨が巫山の雨と同じく、相愛の関係に入ることを象徴していることは論を待ちません。最後の「春来早」の早いは首相の希望的見解であると思います。
 これまでの訪日の為政者が殆ど皆七言絶句で感慨を示したのに比し、今回温首相が漢俳を用いたのは無論相手が日本だからです。日本を代表する文芸としての「俳句」に敬意を表したことは云うまでもありません。もう一つ大事なことがあります。
 今回の温首相の行動は全て同行してきた中央電視庁によって中国各地に同時放映されていたことです。首相が古典詩でなく漢俳を披露したことが、中国国内で放映されても、最早中国民衆に違和感なく理解されたと考えられます。
 漢俳が世に出てから四半世紀が過ぎましたが、今や現代国民詩として、中国国内で市民権を得たと見ていいでありましょう。
 つぎに出席者を代表して辻井喬氏が返詩をされました。挨拶のその部分は次のようになっています。
 「日本には返句という伝統があります。本来ならば安部晋三首相がお作りなるのが筋で しょうが、お忙しいことと思い、私が感謝の意を込めて一句作りました。御不満な点がございましたら手直ししてください。

陽光満街路         陽は街路に満ち
和平偉友来春風    にこやかな、いつも変わらない態度を示される偉い友が春風とともに来る
誰阻情信愛     誰が信愛の情を拒まんや 」
 読み下しは、辻井さんが書いたものらしいのですが、中文の構造からいっても間違っているし、単語の意味からいっても「和平偉友」等おかしい所が有るのはご覧の通りです。このままでは「春風とともに来る」とはならないし、信愛の情は「信愛情」でなければなりません。中国には普遍的な習慣として次韻があるのに「日本に返句の伝統がある。」などと断るのも妙です。それでも日本の為政者が詩を貰って返詩をしないのに比べたら、礼を尽くした辻井さんの行動は賞賛すべきでありましょう。
 漢俳による贈答や返詩は如何にすべきでしょうか。絶句のような次韻の習慣は確立されているとはいえません。しかし、句末の二字位を用いれば、次韻的な感触を採れると思います。
 因みに音韻学者の溥雪○氏にお会いしたとき、氏は漢俳のような短い詩でも、最低二カ所で韻を踏ませておけば、それがお互いに響き合って想像を拡げる効果があるといっていました。原玉がそうなっていれば、次韻を用いることが出来ます。最初に挙げた趙樸初、林林、丘仕俊、鄭民欽の作品などはそうなっていますが、現在では韻を意識しているケースは次第に減っているようです。

4.漢俳制作の勉強はどうしたらいいか
 漢俳は俳句に倣った中国の短詩です。勿論俳句ではありません。しかしそこには凡そ一世紀にわたって、俳句を勉強した文化人の努力が集積されています。
 漢俳を始動した長老は鍾敬文、趙樸初、林林の三羽烏です。このうち現在生きておられるのは林林先生だけです。一昨年、漢俳学会が発足したとき、林林先生が名誉会長になられました。会長は次の世代の劉徳有先生です。林林先生は戦前日本に留学した時代から俳句に深い興味を抱いておられました。その理由として次の三つを挙げています。
 第一は俳句が日本の文芸史の中で高い位置を占めていること。第二は現代も広い民衆の中に生きていること。第三は世界の各国に影響を与えていること。
   (林林『扶桑雑記』)
 確かに俳句人口は一千万ともいわれています。然し俳句界は「漢俳」に対して殆ど関心がありません。やっと国際俳句交流協会が昨年十一月、漢俳学会会長の劉徳有氏を招いて講演会をやり、八十人ほどの聴衆が集まりました。しかし漢俳を作ってみようという俳人は見当たりません。
 漢詩結社もどちらかというと漢俳に対しては冷淡でした。しかし温首相のスピーチを機会に、今後は漢俳をやってみようという人が増えて行くかも知れません。現在漢俳の制作をやっている結社は葛飾吟社ぐらいしかないかも知れません。
 葛飾吟社(主宰中山栄造)は中国の詩壇と密接に関係してきた詩詞団体です。毎月東京お茶の水で例会を開き機関誌『梨雲』で会員の作品を発表しています。ホームページがありますのでご覧下さい。中国には漢俳専門の雑誌『漢俳詩人』(長沙市・段樂三主宰)があります。
 葛飾吟社はこことも密接な関係を維持して来ています。漢俳の制作・研究は目下の所、このような専門団体に所属するしかないようです。日本語による解説書はまだ出版されていません。ただ俳句雑誌では『陸』(中村和弘主宰)が、すでに二年にわたって『漢俳入門』(今田述)を連載しています。             
       (二〇〇七・五・四)

俳句の母国から漢俳を見る TopPage
莵庵山人
 漢俳が生まれて四半世紀、中国人による「俳句」への接近は、新しい現象として両国文化交流史上に特筆されるべきである。漢俳発展の経緯を日本側から見てみると、第一期の勃興期、第二期の学習期を経て、今はいよいよ第三期の普及期に入りつつあるように見える。
 趙樸初翁によって漢俳が詠まれた1980年からの10年間は正に勃興期。この間の主要作家は趙樸初、鍾敬文、林林ら日本の俳句事情を知っていた先覚者たちである。林林先生の次の一文は、このグループを代表するものだろう。

・・・私が俳句に注意し、興味を持つようになったのは、三つの要因がある。其の一は、俳句は日本文学史に重要な位置を占めていること、二は、現代に到ってもなお広い大衆的基盤があること、三は、世界の詩歌にも影響があることである。私は俳句を研究するのは大変むずかしいとは知りながらも、あえてそれを学び、かじってきた。(林林『扶桑雑記』)
 次いで90年代、第二期の俳句学習期が訪れる。この時期には俳句(一部短歌も含まれる)の翻訳が盛んに行われた。俳句を知らない中国人に漢俳を広めるためには、まず俳句を知って貰わなければならない。
1991
・・優れた歌人、俳人がそれぞれ個々に祝賀に来られ,西湖や蘭亭の游吟活動をおこなった。それは空前の盛況で,素晴らしい成果があり、我が国の研究家や翻訳家及び詩歌作家や愛好者の関心を喚起した。

 現在は第三期。この普及時代の 幕開けは1997年と見ていいのではないか。この年林岫・鄭民欽による『漢俳首選集』が刊行され、漢俳は中国詩歌史上に居住権を持つに到った。当時のことを劉徳有はこうふり返る。
   ・・・李芒同志の推薦で、林岫同志は私に"原稿募集案内"を送ってきました。"原稿募集案内"には≪漢俳首選集≫はわが国詩歌史上初の漢俳集であり、私に近作中から10首を自選し彼女に送るようにと書いてありました。
 手紙を頂いてから私は聊か躊躇しました。私の手許には十首や二十首の漢俳はありましたがすべてが習作であり、全く人前に出せないものでした。

 この一文は漢俳が普及時代に入ったことを窺わせる。この1997年には『現代俳句漢俳作品選集』第二巻も刊行されが、特筆すべきは9月「中山栄造新短詩研討会」が開催されたことである。当時漢俳について殆ど何も知らなかった。
 私は、中山主宰の急造訪中団の一員として参加し、林林、李芒、林岫、徐放、溥雪?、紀鵬といった錚々たる諸先生の面々にお会いし驚倒させられた。
 これを期として葛飾吟社では会員が漢俳を詠むようになった。漢俳の外国への普及第一歩である。それまで俳句関係の訪中者が、誰も漢俳を詠もうとしなかったのは何とも不思議だが、葛飾吟社は今でも日本で恐らく唯一の漢俳を含む中国詩詞と取り組んでいる結社である。
 外国の詩を翻訳に頼って理解するのには元来限界がある。上手下手は兎も角、実践してみて始めて真の味が解るといえるのだろう。
 私たちが中国詩詞を制作しつつなかなか乗り越えられない一線があるように、中国詩人が俳句の心を理解するのもなかなか難しいものがあるに違いない。漢俳作家の手法を日本人の目から見ていると、目下のところ次の三つのパターンがあるように見受けられる。
 第一は漢詩の五絶等から不要な句を整理調整して漢俳に仕立てるタイプ。第二は漢俳を長短詩の詞の一種として捉え、短詩としての新構想を拓こうとするタイプ。第三は日本の俳句に接近し、俳味を採り入れた短詩を目指すタイプ。
 いずれも成功の可能性を持つが、漢俳が今までの中国詩詞にない新境地を開拓するためには、第一より第二が、第二より第三が個性を持てるような気がする。これは岡目八目のコメントであって、正しいかどうかは中国詩壇自身が判断することであろう。
 夙に第三のパターンを歩んで来られたのは林林老である。先生が提供された連作『早市写真』は、優れた"俳味"を含んでいる。俳味とは俳諧の味で、漢字の「俳」も「諧」も笑いであるように、庶民的な笑いの要素が含まれる。
 それは文芸としての笑いであって、決して演芸の「お笑い」に堕してはならない。だがここまで来ると、日本の現在の俳句作家でも、十分解っている人は少ない。林林先生に次の一首がある。
  黄黄新水果 黄黄たり 新水果
  其名叫伊麗沙白 其名は エリザベス
  洋味好吃口馬?   洋味 好いですか?(林林)

洋風かエリザベスなる瓜の味

 思わずこんな訳句が浮かんだが、果物の「エリザベス」という名を見て詠まれたモノで、そこには一種の諧謔がある。これは明らかに"俳味"を狙われたものである。この他、『西湖景語』に登場する岳王墳の「油炸檜」@とか、『牡丹』に登場する「則天武后」Aなど、いずれも史実を引いた"俳味"を効かした作品で、蕪村の如き手法が見える。

   易水にねぶか流るる寒かな 蕪村

@ 牡丹       林林
胆識冠群芳 胆識 群芳に冠たり
  因抗女皇貶洛陽 女皇に抗いしに因って洛陽に貶めらる
  國色更増光    國色 更に光を増す
   (注)伝説では武則天が帝を称して后,曾つて冬季に詔して百花に盛んに咲けと命じたが,牡丹だけは従わなかったので,洛陽に落とされたという。

A 岳王墳   林林
 萬民愛岳飛 萬民 岳飛を愛す
 千古奇冤莫須有 千古の奇冤 莫須有(でっちあげ)
 活該油炸檜    "油炸檜"とは活該(あたりまえ)
   (注)□南地方の民間で油条(揚パン)のことを"油炸檜"というが、この檜は"秦檜"のことである。(宋は北方民族金に圧迫され、首都開封を奪われ、杭州に退いて南宋となるが、北方挽回を主張した愛国の英雄岳飛は、和平派の宰相秦檜によって冤罪を着せられ逮捕の上処刑された。西湖の畔に墳墓があり、傍らに立つ秦檜の像は参詣者によって鞭打たれる。)□=門+虫。

 ともあれ日中両国の俳句と詩詞の競作は、中国人は詩を詠み、日本人は俳句を詠むという第一段階から、相手のジャンルへ踏み込んだ第二段階へ入って来たのである。(終)

私の漢俳の詠み方、十の手法 (北京) 李増山 TopPage
荻原魚骨訳
 漢俳は様式が極めて短小なため、深長な詩意と濃厚な詩味を詠おうとすると容易ではありません。私は以前≪漢俳創作略解≫なる拙文を発表し、主題形象、意境、余韻、構想、言葉、内容、感情などの面から、漢俳創作に当たっての"八つの強調点"を提起しました。
 私は今度は漢俳創作に当たって芸術表現の技巧問題に重点を置いてここで簡単に述べたいと思います。私は自らの漢俳創作の実践の中から併せて十種の方法を見つけ出しましたので、詩友の皆さんどうぞご叱責ご叱正のほどお願い申し上げます。
 問題点の説明のために文中に引用いたしました詩は全て愚生の拙作としましましたのは、人様の作品にいたずらに評論を加えることは恐れ多く私には出来かねますので、拙作をもって間に合わせた次第であります。

一、単刀直入法。
 遠回しに言わず、主題に直入すること。この方法は感情が激烈な題材、例えば胸中をありのままに述べる言志詩、その非を直訴する譴責詩等の表現に適している。

詩 縁
欲罷不能休,為伊歓楽為伊愁,為伊白了頭。

 好きだと言う事を詠みたいんだったら、思いっきり好きだと言えばよい、煮え切らない態度でもじもじしたり、隠し立てするべきではない。初めて漢俳を詠む時は、ただただ主題がはっ きりと表現できないことを恐れて、多くの場合この手法を取るものである。
 しかしその実、この手法は書くのは簡単であるが作るのは最も難しい。うまく詠まないと詩味が全然無い、単 なる"標語詩"になってしまう。

二、含而不露法(内に秘めて表に表さない手法)。
 この手法は感情が激烈ではない題材、例えば穏やかで婉曲的な男と女の間の愛情詩とか或いは風刺詩などの表現に適している。表に表さないとは言うものの、必ず読む人に詩の中に秘められた意図するものを見出させなければならない。
 さもなくば、言わんとしているところが分らず、其の詩は何の役にもたたない。
      □海酔吟
(□海にて酔いて詠む □=シ+耳)
酔里尋春夢,低頭対月理霜鬢,暈泛鏡中鏡。 

 詩の中には主人公の心理活動は直接的には描写されておらず、全ては彼のその酔って真っ赤なった顔 の中に隠されているのである。この手法は把握することからいって比較的難しく、うまく出来ないと晦渋にして難解な"朦朧詩"なってしまう。

三、一寸触れるだけでそこで止める手法。 又は見せたいけれどもやはり隠しておく手法。
 これは一つの芸術弁証法です。中国画論には"景は隠すほどに、其の画境は広がり、景は見せるほどに、其の画境は小さくなる"という言い方があります。

 この手法は多種多様な題材を詠むのに適しており、また中国人の審美習慣とも符合し、裸体画、抽象画を好まず、古典中国画(国画)を好むのと同じです。
登烽火台有感(烽火台登って詠ず)
台空烽火浄,少年不解千年夢,只作清涼境。

 教育内容が偏りバランスを欠いた現象を風刺したものですが、此処まで言えばそれで充分なのです。余りの多弁は返って味が淡白になります。この手法を掌握するのは、前に述べた二つの手法と較べていくらか容易で、度を越した単刀直入、或いは度を越した晦渋を避けることができます。

四、「弓を引き絞ったまままだ放たない」手法。
 これは学問を教える際の啓発、手引きの方法を用いて短詩を詠むもので、紙幅に限度があるため書けなかった問題には直接は答えず、啓発のみ与えて読者に自分で考え自分で答えてもらうと言うものです。これにより、詩の"言尽きて意なお無窮"の芸術的効果を達成することが出来ます。
戦火中的児童(戦火の中の子供たち)
一双驚恐目,望断硝煙弥漫路,伊甸在何処?
 戦火による破壊を何度も受けた子供たち、彼らが憬れの楽園はどこにあるのだろうか?
問うて答えず、余韻は尽きず、味わい深い。

五、「竹の管から豹を覗く」手法。
 この手法は短詩を詠むに当たっての最も基本、最も重要な方法あり、 "筆で描くところは一斑にとどめ、全容は心にとどめる"が必須である。一斑を見て全容を知ることが出来るのは、全身に斑模様があるのは豹だけであるということを知っているからである。従って一斑を描けば直ちに豹であるとわかる。

辺防戦士速写・衛生兵
(辺境を守る戦士のスケッチ・衛生兵)
雪裏艱難歩,歩歩脚窩有多深,都到薬箱処

 腰に薬箱が下がっていれば、衛生兵である事は、先ず間違いないだろう。又、この詩全体からみると辺境の衛生兵が他の兵士達に感謝される多くの事象の中のたった一つの場面を描いただけである、従ってこの詩全体を "一斑"とみなすこともできる。

六、長所をもって短所を補う手法。
 漢俳のような形式は、短小にしてあまり多くの写景、叙事は出来ないとはいえ、リズムもあり、上がり下がりもあり趣に富み、韵を用いて臨機応変多様に変化し、非常に抒情に適しているので、我々はその抒情の長をもってその写景を補うことができ、叙事の足りないところを情をもって勝ることにより、「言葉は短くても情は深い」を達することが出来る。
 単純な写景詩や抒情詩は無く、全ては情と景が交わり溶け合い、抒情と叙事が交わり溶け合ったものであるから、この手法は普遍的に運用できる。

紅葉酔人
景似杯中味、貪杯不覚日西堕,人共霜林酔。
 筆を存分に使って紅葉の美を描写しなくても、景色をめでる人の陶酔の風情を叙することによって、読者はその中から同じように紅葉の美景を想像することが出来る。

七、うまく典故を用いる手法。
 当世の人が詩を詠む場合多くは典故を用いない或いはほとんど用いないと主張しているが、これは正しいことである。なぜなら典故を用いても特にいくつかの滅多に見かけない典故を用いたところで一般の人は見ても分らないというのがほとんどであろう。
 もしも用い方がうまくなければ、用いていることが明らかなだけ、一層"違和感"が醸成される。しかし典故は字面は薄っぺらでもその意味するところは深いので、詩の含意と詩の面白みを増すことができ、一般の人が知っている典故を適宜使うならば、短詩創作の取るべき一つの手法といえる。

観反腐展帰来
(反腐敗現象展示会を見て帰る)
想来寒透骨,夜静有書無興読,臥聴蕭蕭竹。

 鄭板橋の半句詩を用いて、作者が腐敗現象を強く恨む心情と民衆の苦痛関心を寄せる心情を力強く伸び伸びとしかも意を尽くして描き詩を意味深長にしている。

八、土俵の外で相撲をとる手法。
 正確には題目の枠を飛び出す手法というべきです。漢俳はたった17文字の詩ですから、作者は往々にして一筆一筆をまるで金でもあるかのように大切にし、どうしても一字一句をみな題目にぴったり合わせようとし、ただただテーマから離れて、文字を浪費することを恐れてばかりいる。
 実は適当にちょっと題目を飛び出した内容を詠むとその詩に風格/気品を持たせたり、諧謔味を備えさせたりして思っても見なかった効果をうることを知るべきです。
 当然、余りに遠くへ飛び出し、題目を離れること万里となってはならず、「看似無情勝有情」(無情のように見える情はあからさまな情よりも強い)でなければならず、言葉は跳んでいっても、心は跳んで行ってはならず、題目と内在的聯系を持っていなければならない。
     読<林岫漢俳詩選>
酒酔貪杯客,山酔松雲江酔月,詩酔芸窓夜。

 この詩はもとより"比興"(他のものに例えて、面白く表現する)の手法を用いているがその上に"土俵の外で相撲をとる"手法も用いている。三句中完全に題目の圏内にあるのは一句のみであるが、正に他の二句が圏外に飛び出した話題で、テーマを際立たせ、作者が愛し、崇拝している林詩の情の表現を一層透徹させ且つ面白みを持たせている。

九、一波三折の手法。
 況周頤は次のように言っている。"小令能転折、便有尺幅千里之勢。"(小令は変転することが出来るので、一尺の紙幅ながら気宇千里の広きを表している)。漢俳は小令と同様、容量が小さく、"一つの波"しか詠めないけれども、却って一波三折、起伏奔放の妙を好くすることができる。平淡無奇の漢俳作品ばかりを書く人がいるが何故なのだろうか?それはこの道理がわかっていないからである。

夜思静
    床前名月光,思娘頭上又添霜,念児辺塞涼。"

 この詩の詠み方はかなり曲折している。先ず月から故郷に想いを巡らし、更に霜に似た月光から母の頭の霜に似た白髪に想いを致し、その後に筆峰を一転させ、翻って又母親に想いを巡らすのであるが、この時母親は辺境を守っている子供のことを思案しているのである、一波三折、一咏三嘆、人の心の奥不覚まで感動させる詩である。

十、絶句構想の手法。
 漢俳の構成上の平板、無秩序を避けるために、我々は絶句の"起承転合"のパターンで想を練り、"承"の句、或いは"転"の句を落とすことで作る事もできる。実際のところ、起承転合の手法は単に構成、構造上の手法に留まらず詩の中に流れる意図するところと技法を現す手法でもあるのです。

東風咏
床前花影動、是誰暗把清香送?捉来蜂蝶問。

 この漢俳は先ず絶句を作り、後から漢俳に作り変えたものです。元の絶句は次の通りです:"窓前花影動、誰把清香送?推戸向深叢、捉来蜂蝶問"。この手法を挙げたからと言って、漢俳を詠む時はいつも絶対先ず絶句を作り、それから漢俳に作り変えなければならないと言っているわけではけっしてありません。言いたいことは構想する過程でこの意識が必要であると言うことです。

詩と俳句の叙述法の違いについて TopPage
深海鮟鱇
 漢詩と俳句が、詩材あるいは句材を共有しているということがあるにしても、その叙述法には基本的な違いがあることを、わたしたち詩を書く者は認識しておいた方がよいだろう。
 「俳諧の連歌」(以下連歌と略す)における発句は付句と一体となって一篇の詩境を共有する。俳句はその後独立したとはいえ、この発句の機能・叙述法を今も継承していると思われる。そこで、漢詩の立場からは、俳句は、起承だけで転合なき詩であるように思える。
 ここではそれを、俳人星野恒彦氏の次の句で見てみたい。
山門に象の彫刻蝉の殻
 この句が俳句になっているかどうかは、俳句門外漢のわたしにはあまり自信がないが、わたしは、俳句になっていると思う。俳句になっているという根拠を明確に述べることはできないが、そう思う。
 しかし、この俳句を通して読者であるわたしが、何を読んだことになるのかは、よくわからない。
 山門=仏教、そこで、象の彫刻=お釈迦さまを載せて練り歩く象のこと、蝉の殻=蝉蛻=仙蛻で、仙人になること。わたしがそう読んだことはわかる。しかし、そうではないという人がいて、たまたま行った寺の山門に、お釈迦さまを載せた象が彫られていることが眼に止まった、そして、お釈迦さまかと思ったら蝉の殻だった、そういう句だといわれそうな気がする。
 そういわれればわたしもそうかとも思うが、それでは作者はほんとうにそれを詠んだのか、とその人に問えば、そうだ、それを詠んだのだ、と禪問答になるだろう。その人は、自身の読解に自信があり、わたしにはそれがない。
 俳句は、今の時代、連歌の発句として詠まれるということはないのだが、それでも、読者の解釈・想像力という名の付句を要求するような詠み方がされる。つまり、俳句は、作者が何かを伝えるために詠むのではなく、詠まれた句が、それを聴く者の解釈・想像力を触発するものでなければならないかのようだ。
 そこで、詠み手にとっての俳句が何であるかはともかく、聴き手にとっての俳句は、五七五で一個の詩として完成しているものではない。
 聴き手は、解釈・想像力をそれに付加しなければならない。この詠み手の発句性と聴き手の付句性の共同作業があってはじめて、俳句が一個の詩として輝きを放つと思える。
 一方、詩では、そういう共同作業がいささか困難なのである。もちろん作者と読者という関係は詩にもあるのであって、俳句における詠み手の発句性と聴き手の付句性のようなことは詩にもある。
 しかし、程度に大差がある。読者の解釈・想像力に依存する度合い、あるいは詩としての未完成度が違うのであって、解釈・想像力のための材料をポンと投げ出して、あとは諸君に任すというごとき書き方は、詩ではうまくいかない。
 なぜなら、詩は、俳句に較べて長いからである。そこで、俳句とは較べようがないくらいに多くの情報を、言葉に託して読者に提供しなければならない。俳句の五七五が言葉として、聴き手に提供する情報の量は、七言絶句四句でみれば、一句七字程度であるだろう。多くても、曄歌三四三の十字までであるだろう。
 そこで、俳句を十分に踏まえて考案された曄歌はともかく、漢俳にしても五言絶句にしても、俳句が身上とする発句性だけで、作品の全部を塗りつぶすわけにはいかない。たとえば五言絶句でみれば、起句・承句の十字は、発句のように書いてもよいかも知れない。
 しかし、転句・合句の十字は、付句のように書かなければ、詩としての完成を期待できない。そこで、俳人星野氏の句の善良なる聴き手となった漢詩人であるわたしは、山門・象の彫刻・蝉の殻を発句として、付句をわたしなりに考え、次の詩にした。

  人入山門愁緒長,   人 山門に入るも愁緒長く
  木雕靈象掉空王。   木雕の靈象空王を掉(おと)す。詩と俳句の叙述法の違いについて TopPage
深海鮟鱇
 漢詩と俳句が、詩材あるいは句材を共有しているということがあるにしても、その叙述法には基本的な違いがあることを、わたしたち詩を書く者は認識しておいた方がよいだろう。
 「俳諧の連歌」(以下連歌と略す)における発句は付句と一体となって一篇の詩境を共有する。俳句はその後独立したとはいえ、この発句の機能・叙述法を今も継承していると思われる。そこで、漢詩の立場からは、俳句は、起承だけで転合なき詩であるように思える。
 ここではそれを、俳人星野恒彦氏の次の句で見てみたい。
山門に象の彫刻蝉の殻
 この句が俳句になっているかどうかは、俳句門外漢のわたしにはあまり自信がないが、わたしは、俳句になっていると思う。俳句になっているという根拠を明確に述べることはできないが、そう思う。
 しかし、この俳句を通して読者であるわたしが、何を読んだことになるのかは、よくわからない。
 山門=仏教、そこで、象の彫刻=お釈迦さまを載せて練り歩く象のこと、蝉の殻=蝉蛻=仙蛻で、仙人になること。わたしがそう読んだことはわかる。しかし、そうではないという人がいて、たまたま行った寺の山門に、お釈迦さまを載せた象が彫られていることが眼に止まった、そして、お釈迦さまかと思ったら蝉の殻だった、そういう句だといわれそうな気がする。
 そういわれればわたしもそうかとも思うが、それでは作者はほんとうにそれを詠んだのか、とその人に問えば、そうだ、それを詠んだのだ、と禪問答になるだろう。その人は、自身の読解に自信があり、わたしにはそれがない。
 俳句は、今の時代、連歌の発句として詠まれるということはないのだが、それでも、読者の解釈・想像力という名の付句を要求するような詠み方がされる。つまり、俳句は、作者が何かを伝えるために詠むのではなく、詠まれた句が、それを聴く者の解釈・想像力を触発するものでなければならないかのようだ。
 そこで、詠み手にとっての俳句が何であるかはともかく、聴き手にとっての俳句は、五七五で一個の詩として完成しているものではない。
 聴き手は、解釈・想像力をそれに付加しなければならない。この詠み手の発句性と聴き手の付句性の共同作業があってはじめて、俳句が一個の詩として輝きを放つと思える。
 一方、詩では、そういう共同作業がいささか困難なのである。もちろん作者と読者という関係は詩にもあるのであって、俳句における詠み手の発句性と聴き手の付句性のようなことは詩にもある。
 しかし、程度に大差がある。読者の解釈・想像力に依存する度合い、あるいは詩としての未完成度が違うのであって、解釈・想像力のための材料をポンと投げ出して、あとは諸君に任すというごとき書き方は、詩ではうまくいかない。
 なぜなら、詩は、俳句に較べて長いからである。そこで、俳句とは較べようがないくらいに多くの情報を、言葉に託して読者に提供しなければならない。俳句の五七五が言葉として、聴き手に提供する情報の量は、七言絶句四句でみれば、一句七字程度であるだろう。多くても、曄歌三四三の十字までであるだろう。
 そこで、俳句を十分に踏まえて考案された曄歌はともかく、漢俳にしても五言絶句にしても、俳句が身上とする発句性だけで、作品の全部を塗りつぶすわけにはいかない。たとえば五言絶句でみれば、起句・承句の十字は、発句のように書いてもよいかも知れない。
 しかし、転句・合句の十字は、付句のように書かなければ、詩としての完成を期待できない。そこで、俳人星野氏の句の善良なる聴き手となった漢詩人であるわたしは、山門・象の彫刻・蝉の殻を発句として、付句をわたしなりに考え、次の詩にした。

  人入山門愁緒長,   人 山門に入るも愁緒長く
  木雕靈象掉空王。   木雕の靈象空王を掉(おと)す。
  飛仙已去留蝉蛻,   飛仙 すでに去って蝉蛻を留(とど)め,
  深院喧喧戀欲狂。   深院に喧喧と恋して狂わんと欲す。

 詩のストーリーは、ある人が悟りを開こうと仏門に入ったが、邪念断ちがたく、木彫りの象が空王(お釈迦さま)を落としてしまうかのようだ、ということで始まる。そして、蝉の殻を見つけ、蝉の殻から脱け出た仙人たちが、裏庭で声を張り上げ、老いらくの恋にふけっていることに思いを馳せる。
 そのあとどこで何するかは、わたしの七言絶句では詠んでいない。余韻・余情は、詩にもある。星野氏の作は俳句である。だから、そこに盛り込まれた句材は、聴き手の解釈・想像力の如何によって、いかようにも発展する発句性があるということになrのだろう。しかし、わたしの作は漢詩である。発句は千の解をも含みうるが、付句はひとつの解であらねばならず、かかる作とあいなった。
  飛仙已去留蝉蛻,   飛仙 すでに去って蝉蛻を留(とど)め,
  深院喧喧戀欲狂。   深院に喧喧と恋して狂わんと欲す。

 詩のストーリーは、ある人が悟りを開こうと仏門に入ったが、邪念断ちがたく、木彫りの象が空王(お釈迦さま)を落としてしまうかのようだ、ということで始まる。そして、蝉の殻を見つけ、蝉の殻から脱け出た仙人たちが、裏庭で声を張り上げ、老いらくの恋にふけっていることに思いを馳せる。
 そのあとどこで何するかは、わたしの七言絶句では詠んでいない。余韻・余情は、詩にもある。星野氏の作は俳句である。だから、そこに盛り込まれた句材は、聴き手の解釈・想像力の如何によって、いかようにも発展する発句性があるということになrのだろう。しかし、わたしの作は漢詩である。発句は千の解をも含みうるが、付句はひとつの解であらねばならず、かかる作とあいなった。

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